Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

これまでの研究成果と課題

これまでの書籍の課題

 これまでいくつかの書籍がPlymouth brethren movement キリスト集会の歴史に関して出ている。まずそれから紹介してみたい。

 Edmund Hamer Broadbent E・Hブロードベント著  『信徒の諸教会』という伝道出版社刊の立派な本があるではないか、というご批判はあろう。それはその通りである。しかし、同書は、所謂メインストリームと はなりえなかったキリスト教界におけるキリストのからだの一部に関して取りまとめたものであり、所謂メインストリームに近い教会群(いや有体に言えば、ローマカトリックと その分離派である英国国教会)が幅を占めたChristendomキリスト教国を経た国の人々向けに書かれた本であるので、主要な教会群に関する部分 の記載が、ほぼごっそりと欠落しており、キリスト教国を経験したことのない我が国においてはその記載をそのまま受け入れると、大いなる誤解を生むという、 課題があると思われる。

信徒諸教会信徒の諸教会

我が国のキリスト集会に関する閲覧可能な図書としては、自伝として出版された石濱義則著 「主イエス・キリスト 私の歩んだ道 」[1979]と様々な人々からの情報を編纂して作成された滝川晃一編「雲のごとく」[1987]である。

kumonogootku雲の如く

あと、自伝及び伝記としては、以下のものがある。井上浩著 「アイルランドの赤いユリ」[2006]、G・M・スピーチリー・K・A・リデルス共著 『日が沈むまで』 [2008]、マッジ・ベッコン著 『主の御手のうちに』 [2008](以上すべて伝道出版社刊)C.B.ムーラン著『おじいちゃんが小さかった頃』 [2013](キリスト新聞社刊)があるが、1次証言資料としては非常に貴重な価値があるものの、その人々が歩んだ以前の過去に戻ることができないという意味において課題がある。

北アイルランドの赤いユリ 日が沈むまで 主の御手のうちに写真 

集会の文化と歴史的経緯

また、集会の文化(あえて文化と呼ぶ)あるいは聖書理解の特徴と行動パターンの特徴や独自性は、もちろん、それに聖書の根拠が付与されたもの、立脚するものであ ることはある面その通りではあるが、それと同時に歴史的に形成されてきたものでもある。

よく知られているように、聖書本文テキストに は相反する様な表記が多分に見られる。パウロ同一人物のテキストでもそうなのだ。聖書や神が、矛盾を含んでいるのではなく、それはパウロが語った内容が 別々の側面について触れているからであると確信している。もちろん、パウロの貢献は、キリスト集会のみならず広範なキリストの体、カトリックから東方諸教会、そしてプロテスタントの諸集団に至るまで深甚な影響を与えたパウロであっても、人間であるから完全なもの(それは本来の終末、世界が完成する時点に実現すると筆者個人は考えている) ではない。そのこと自身、パウロは次のような表現で告白している。

新改訳聖書 ローマ人への手紙

 7:17 ですから、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住みついている罪なのです。
7:18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
7:19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
7:20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
7:21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
7:22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
7:23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
7:24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

これから項目のサイトの構成

これから公開する本サイトの構成であるが、先述のように、現在のキリスト集会の特徴が歴史的な過程の中で形成されてきたことを踏まえ、次のような構成としたい。読者には、ご理解願いたい。

1)キリスト集会の原型の形成

2)初代教会から英国国教会まで

3)英国国教会などからの分離・形成

4)キリスト集会の英国での発展

5)日本への伝道(西回りのキリスト集会・東周りのキリスト集会)

6)我が国におけるキリスト集会での行動の特徴と他派との違い

7)他派との同質性

8)他派への影響

9)同一性と一体性の違い

歴史と人物とのかかわり

なお、これまで、キリスト集会は、神の主権性を示す為に、個人についてあまり触れることなく、個人を語ることを控えてきた。雑誌などの投稿でも、イニシャルを用いるほどであった。しかし、このサイトでは、個人をかなり前面に出す。なぜならば、歴史が人間の行為の結果形成されることを考える以上、歴史において、個人とその行動を抜きに語りえないからである。日本史を語る時に、源頼朝、足利尊氏、織田信長、徳川家康、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文らを取り上げずに書いたところで、それは歴史を語ることになろうか。あるいは西洋史全体であれば、アレクサンダー大王、秦の始皇帝、ユリウス・カエサル、フリードリッヒ大王、ヘンリー8世、ルイ16世、ナポレオンなどの出てこない歴史文献は歴史文献といえるだろうか。そうは言えないと思う。

集会の文化とその聖書的根拠

また、集会文化に関しては、『集会の真理と行動』という過去のプレシャスシード誌 Precious Seedに記載された原稿を再編集し、さらにその一部のみを記載したものがわが国でも出版されているが、さすがにキリスト集会人が書いた論考集であるだけに、一つ一つの事柄に対して聖書的根拠が指示されているが、今後公開するこのサイトでは、このような方針は取らない。

集会の真理
というのは、集会の文化は、世俗の事物や事象、現象や文化の影響をも受けるからである。本記事では、そちらの方に重点を置き、聖書的根拠や引用は最低限に留めおく。このような方針を信仰的ではないというご批判をなされたい向きはあろう。

現象面をとらえようとする整理

しかし、現象面を積極的にとらえようとするところで、聖書のみこと ばを振り回すことは、それこそ不敬虔であり、却って御言葉を軽んじるそしりを免れないと思うからである。また、先行研究で参考にさせていただいた書籍である

F. Roy Coad氏の
A History of the Brethren Movement: Its Origins, Its Worldwide Development and Its Significance for the Present Day, Regent College Pub, 2001

Nathan Delynn Smith氏の
Roots, Renewal and the Brethren, Hope Pub House, 1986

Neil Dickson氏の
Brethren in Scotland: A Social Study of Evengelical Movement (Studies in Evangelical History and Thought), Authentic Media、2002

これらはいずれも同様の方針を取っているからである。以上3人の方は、英国ないし米国のキリスト集会の信徒の方である。私に信仰的でないという謗りを向けられるのならば、それはそっくりそのまま、これらの3人のキリストの体を形成するキリスト集会の信徒の方にも向けることを意味することであることはご承知の上での行為であろうと理解する。

では、次回1)キリスト集会の原型について触れる。

 

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投稿日: 2015年3月23日 投稿者: カテゴリー: ブラザレン史, レビュー, 関連図書 タグ: , ,

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