Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

キリスト集会の原型

現在のキリスト集会そのものの原型は、1820年代のイングランド人のアイルランドでの行動に始まる。一人の歯科医師 Anthony Norris Groves(アンソニー・ノリス・グローヴス 以下 グローヴス)が海外伝道の思いを持ち、そして、海外伝道の準備をはじめ、ダブリンのTrinity College(トリニティ・カレッジ)で神学を研鑽しめる。その研鑽の過程の中では、当初英国国教会の司祭としての叙階(牧師職などへの就任)とChurch Mission Society(チャーチ・ミッション・ソサエティ)からの派遣を期待していたようであるが、しかしながら、より新約聖書の記述にあるような聖餐のあり方を求め、国教会からも、チャーチ・ミッション・ソサエティからも身を引いていく。1925年にはグローヴスはChristian Devotedness(「キリスト者の熱心」)という書籍を出版しており、社会の不正義への対応として信仰による解決を目指すというものであった。そして富は神の奉仕へのためのものであり、富の蓄積は敬虔さの障害になると考えていた。1827年ごろには、後に説明するEdward Wilson(エドワード・ウィルソン)宅での夜間の聖餐式に参加していたものと思われる。

1829年に独立自給型伝道者として、ヨットでロシアにわたり、ロシア経由で Baghdad バクダッド伝道していくことになる。しかし、この伝道旅行で、最初の妻と娘一人を失う。1833年にインドに転身し、伝道を始める。1835年再婚し、インドで伝道を続け1852年に病気のため英国に帰国、1853年死去する。1848年にGeorge Müller(ジョージ・ミュラー)とHenry Craik(ヘンリー・クレイク)のBethesda Chapel ベテスダ集会とJohn Nelson Darby(ジョン・ネルソン・ダービー)との対立ではジョージ・ミュラー側に親近感を抱きながら、この対立を憂慮していた。このような波乱に満ちた人生を送っていたが、彼自身は彼の生涯をかけた伝道は失敗だったと思っていたようである。しかし、このグローブスの伝道のあり方は、1836年に設立されたジョージ・ミュラーの自宅を利用した孤児院伝道、OMFの前身となったHudson Taylor(ハドソン・テイラー)の中国インランドミッション、石井十次の孤児院伝道等に影響を与える。

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アンソニー・ノリス・グローヴス

◆ 信仰面での特徴を作ったグローヴスの伝道活動

その意味で、キリスト集会の特徴の一つの伝道熱心さ、というあたりは、このPlymouth Brethren Movementプリマス・ブラザレン運動(ここで、あえてPlymouth Brethren Movementと呼ぶのは、Mennonite Brethren メノナイト・ブラザレンとの混同を避けるための記号としてのみであり、それ以上の意味はない。)の始祖の一人、アンソニー・ノリス・グローヴスからきていると言っても過言ではないだろう。

集会の信仰上の特徴の一つである個人的な資産形成への否定的視線もこのグローヴス由来であると思われる。もちろん、使徒言行録のAnanias and Sapphira アナニアとサッピラの例もあるではあろうが。

組織による支援を好まず、組織化と組織そのものを嫌うゲリラ的な行動パターンもこの時代からの伝統である可能性が高い。

主体的なヴォランティアベースでの集会運営への関与もこのグローヴスとその一行とその旅程準備がヴォランティアベースでなされて行ったことに由来していると思われる。

◆ 聖餐式(パン裂き集会)の原型

いまのキリスト集会の原型は1827–1828年ごろであり、当初は平日の夜に集まり、聖餐式を開いていたようである。この聖餐式は、Dublin ダブリンの初期メンバーたちの個人宅で始める。このころ聖書協会のダブリン支部の役職者でもあったエドワード・ウィルソン宅で集まっていた。その後、ウィルソンのイングランド移動に伴い、Sir Hutchinson Synge(サー・ハチンソン・シング)3世の自宅の一室で聖餐式を始める。この時のメンバーは、Bellett(べレット), Brooke(ブルック), Cronin(クロウニン), Darby(ダービー), Hutchinson(ハチンソン)であった。

このメンバーを紹介しておくと、

◆John Gifford Bellett(ジョン・ギルフォード・べレット)
当初国教会信徒の法律家であり、いくつかのキリスト教思索に関する著作がある。J.N.Darbyとの接近はPowerscourt伯爵夫人宅で開催された終末論への関心が共通していたためと思われる。

◆Edward Cronin(エドワード・クロウニン)
当時医学生であった。後に医師となる。当時様々な国教会分離派運動へアプローチしているが、他の集会での聖餐にあずかれない経験をする。この経験からキリスト集会の聖餐式の原型が構想されたものと思われる。数年後、Anthony Norris Grovesの伝道活動に合流する。

◆Master Brooke (詳細不詳)

◆John Nelson Darby(ジョン・ネルソン・ダービー)
当時アイルランド国教会司祭であり、後にキリスト集会に大きな影響を与える人物である。Exclusive BrethrenないしConnexial Brethren派の代表的人物である。

◆Francis Hutchinson(フランシス・ハチンソン)、即ち Francis Hutchinson Synge (フランシス・ハチンソン・シング)3世 アイルランド男爵であり、アンソニー・ノリス・グローヴスのバグダッド行きのためにヨットを提供する。エドワード・ウィルソンがイングランド移転後、自らの邸宅の一部を提供。

◆ クロウニンのラディカルな聖餐式論

その意味で、現在のキリスト集会の基本的な聖餐式のあり方はクロウニンが他派からの聖餐式参加を断られたことが原因になっており、超教派的に神の名の前にすべての信徒が一つになって集まることがキリスト集会の出発点となっているのであるが、現在は紹介状の所持、ないし持参、ないし事前送付を聖餐式参加の絶対的な前提条件とし、その出発点の聖餐式論の精神が忘れられているキリスト集会もあるやに聞いている。

次回、このような運動になった宗教的背景を考える。

本日の資料は、F. Roy Coad(2001), A History of the Brethren Movement, Regent Collage PublishingとNathan Delynn Smith(1986),Roots, Renewal and the Brethren に依拠しているが、しかし、この時期の資料は非常に限られるらしく、他の参考資料を見ても、同じことしか書いていないので、この辺りに言及したものは少ないと思われる。

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投稿日: 2015年3月25日 投稿者: カテゴリー: キリスト集会の原型, ブラザレン史 タグ: , , ,

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