Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

2)ブラザレン前史~ヨーロッパおよび大英帝国を中心として 

◆ 研究上の視点

ここでは、Brethren(ブラザレン)が成立した背景を思想史的側面、経済史的側面、政治史的側面、宗教史的側面の4つの側面から捉えてみる。従来の研究では、宗教史的側面からのものが多いが、ここは、Nathan Delynn Smith(1986)(ネイサン・ディラン・スミス)の議論に習い、多方面から捉えなおしてみようと試みる。しかし、これら思想、経済、政治、宗教はいずれも、人間社会の生活する人間に対しても、また、これらが相互的に関係しているので、どれか一つを語ることは、他の側面とのかかわりを語るということでもあり、整理して分断的に書くことは実は困難を極める作業であるが、できるわけわかりやすく書いてみることにする。

◆ 初代教会から中世まで

ガリラヤの一地方、そうは言わなくてもユダヤの一地方で始まったナザレのイエスが起こした神の国運動が、広がっていく社会学的検証と背景の分析に関しては、以下の本を参照されたい。

■ キリスト教とローマ帝国  – 2014/9/19、Rodney Stark ロドニー・スターク 著, 穐田信子 訳 新教出版社

ところで、初代教会がローマ帝国の各地に広がっていく中で、Jerusalem エルサレム、Alexandria アレキサンドリア、 Antiochアンティオケ、Constantinopolis コンスタンティノポリス、Rome ローマに地域ごとの核教会として機能するよう、大司教座がおかれた。 いまのように、郵便、宅急便、電話、ファックス、インターネットがない中、地域別に中核となりうる施設をおいて、ある程度の運営の基本線を定めつつ、地域の実情に応じながら、分権的な調整・運用を行うことは、帝国の効率的効果的運営において極めて有効であったであろうし、実際ローマ軍団も同様の駐屯地構造をとっていることが知られている。

ローマ帝国は、帝国末期、帝国内部の内部の政治的不安定性を含めた内部的要因や東西帝国の分裂に加えて、疫病の発生、ローマ帝国領の富と食糧を求めての東方から、北方からの異民族の流入、アフリカからの異民族の侵入、フランク王国の成立、イスラム帝国の勢力増強等を経験する中で、ローマ帝国自体が、次第に弱体化していく。

◆ キリスト教の東西分裂

この弱体化に伴う政治的混乱の結果としてのローマ帝国自体の分裂に加え、ギリシア人を中心として形成されギリシア語がつかわれていた東方(Orient オリエント)と、Latin ラテン人を中心として形成され、ラテン語がつかわれていた西側(Occident オクシデント)で言語の違いにより、聖書解釈が微妙にずれ始め、シスマ(教会分裂 相互破門)を経て、キリスト教界の東西分裂が発生する(なお、現在では、この相互破門は解消されている)。いまのキリスト集会の一部で見られる実質的破門(あそこは、集会とは言えないから、あそこの集会は●●だからあそこと交われない…とかいうこと)ことは、900年以上前の時代から起きていたのである。 Map_of_Constantinople_(1422)_by_Florentine_cartographer_Cristoforo_Buondelmonte
15世紀のコンスタンティノープル

オリエント側(東側)は、その後、イスラム世界の増強の波にあらわれ、十字軍の波(西側のVenniceヴェネツィア海軍を中心とした十字軍は何を血迷ったのか、戦費目的ということで、西側の十字軍として、コンスタンティノープルを攻撃する)にも不幸にして洗われ、Greece ギリシアの奥地、Russia ロシアの奥地、中央ヨーロッパ、Ethiopia エチオピア、中央アジアと移動し、広がっていく。そして、ギリシア正教、ロシア正教、エチオピア正教、ルーマニア正教、ブルガリア正教、non Chalcedon 非カルケドン派の正教群として東ヨーロッパに広がり、そして、景況として中国に伝来していく。なお、最近の研究によると非カルケドン主義のキリスト教のある信仰者群はシルクロード(中央アジア)では、かなり後期まで残っていたらしい。

◆ イスラムの流入

ローマ帝国崩壊後は、民族移動に伴う異民族が旧ローマ帝国領内にまで流入した。また、イスラム勢力の流入はオクシデント側(西側)でも発生した。アフリカを経由したイスラム勢力のUmayyad ウマイヤ朝により、一時Iberiaリベリア半島(ほぼ今のスペインとポルトガル)はイスラム勢力の支配下に置かれた。旧西ローマ帝国の西側の都市国家が乱立するドイツやイタリアでは、複数次にわたる波状来襲により、ローマのバチカンの壁目前辺りでも、異民族の流入とそれに伴う戦乱や混乱が発生する。 British_sailors_boarding_an_Algerine_pirate_ship

イスラム海賊と戦う英国海軍(赤い服の海賊はイスラムの伝統半月刀を持っている)

また、異民族としては、イタリアやフランスでは、海(南)からは不定期にイスラム海賊(海軍)の攻撃を受け続ける。イタリアでは、この事態に対して、ギリシア・ローマ以来の都市国家の伝統に則り、多数の都市国家が時に争ったりもしながら、併存することになる。イタリア統一国家建設は、Florence フィレンツェのMediciメディティ家(Medicine医学の語源となる)などの人々により模索されるが、結果的には近代になるまでイタリア統一は果たされない。また、ドイツもまた、中世は都市国家による分権的運営がなされ、イタリア同様、近代になるまでドイツの統一は果たされない。イタリア、ドイツの両地域に中世紀の名城が多いのは、この辺りの事情による。

ローマ教会(カトリック教会)は、西側での唯一の全ての国に共通な(カトリック、即ち普遍的)キリスト教会として存在し続け、中世の飢饉、病疫の流行、異民族の流入の中でも、存続し続け、破門制度(ヴェネツィアではかなり安易に無視されたらしいが)を使い、世俗政治、世俗王権に介入し、王家間の婚姻は宗教的行為であるために、これらも使いながら、オクシデント内の国家間調整を続ける。今の国連に似た機能もカトリック教会というかヴァチカンは果たしていた。

◆ 中世の終焉とプロテスタントの成立

欧州において中世がいつ終わったか、という問題は意外と答えるのが難しい。絶対王政の成立をもって終焉とすることが多い。イギリスでは、おおむねHenri VII ヘンリー7世(1485年)ごろといってよいだろうし、フランスでは、Burbon ブルボン朝が成立する1600年ごろと見てよいだろう。なお、この時期には、1517年にMartine Luther ルターが95カ条の提題を教会の壁に打ち付けているし、Tyndale ティンデルが英訳聖書をギリシア語テキスト、ヘブライ語テキストから翻訳・出版したのがそれぞれ1525年と1529年、Calvine カルヴァンがキリスト教要綱を出版したのが1536年、Switzerland スイスではZwingliツィングリが独自の聖餐式を行ったのが1525年であるから、およそこの時期に中世カトリック教会とはこの時期ごろに分離が始まった集団が明確に定義され始める。 Luther95-stellingen

95カ条の提題を打ちつけるルター(どうも夜間に実施という説が濃厚)

ドイツ、北欧ではルター派が中心に広がり、カルヴァン派は、スイス、Holland オランダ、France フランス、Scotland スコットランドに広がる。スイスとドイツの一部ではツィングリとその弟子たちが活躍し、スイスなどでは暴力的なAnabaptist アナバプテスト運動(成人バプテスマを強調し、バプテスマか死かを選ばせるような暴力性)が起きる。Mennonite Brethrenメノナイト・ブラザレンやその関連団体のAmish アーミッシュ、そして間接的にはキリスト集会(プリマス・ブラザレン)に影響を及ぼす。バプティストは自体は17世紀前半にイングランドで国教会分離派(separatist あるいはnon conformist) として始まった運動であり、既存のキリスト教会でのバプテスマの習慣を否定する形で成人のバプテスマを施したことに由来し、アナバプテスト派とは出発点において異なる。

◆ キリスト教史を知るために

この辺りは、以下に示す参考文献などを読んで、基本的な知識を抑えておくことをお奨めする。

■ 総説キリスト教―はじめての人のためのキリスト教ガイド  – 2008/7 Alister E. McGrath アリスター E.マクグラス 著, 本多 峰子 訳 キリスト新聞社

■ 神学の起源: 社会における機能 (神学への船出 (03))  – 2013/5/31 深井智朗 新教出版社

■ これだけは知っておきたいキリスト教史  – 2011/4/1 Justo L. Gonzalez J. ゴンサレス 著,  金丸 英子 翻訳 教文館

◆ 英国略史

ブラザレン運動は、アイルランドが出発点である以上、大英帝国という文脈の中で構成されてきた。現在の大英帝国は時間を経て連合王国となっている。もっとも古く併合されたのは、13世紀に併合されたWales ウェールズであり、次に16世紀に併合された(実質的にはイングランドの植民地経営の始まりともされる)のは、Ireland アイルランドであり、最後に18世紀初頭に連合することでスコットランドとイングランドからなる連合王国制に移行し、イングランド、ウェールズ、アイルランド、スコットランドの4か国からなるUnited Kingdomとなるのである。

もっとも古く併合されたウェールズですら、現在でもなおイングランドに圧迫されているという意識がウェールズ人にあり、民族の誇りとして、一部には、Welsh ウェールズ語が維持されている。Lloyd Jones ロイドジョンズはウェールズ語も話す説教者でもあった。このように大英帝国は英国とひとくくりにできないほど非常に複雑な歴史と地域的な独立性を持っているのだ。したがって、サッカーのFIFAやラグビーなどのワールドカップにも、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドと別々の国として参加するのである。

LongestStationName

世界で一番長い駅名(ウェールズ語の地名)

また、近年のスコットランド独立(より正確には自治権の確立)に関する住民投票は1970年代ごろから模索されており、スコットランド人は、イングランド人に対する反感意識がいまなお高く、God Save the Queenと国家をうたわずない。スコットランドでは、Flower of Scotlandという独自の国歌もある。アイルランドの独自の国歌“Amhrán na bhFiann!”(アイルランド語)、ウェールズの国歌Hen Wlad Fy Nhadau“(ウェールズ語)もご紹介しておく。

FlagUK

英国国旗の変遷

◆ 英国史の参考書

英国史は、先にも述べたように、ブラザレン運動が大英帝国領内アイルランドで発生しているため、ブラザレン史を理解するうえでは欠かせないので、いくつかの参考文献を紹介しておくので、この分野を研究するためには、以下の本などをお読みになられることをお奨めする。

■ ケルトの水脈 (興亡の世界史)   2007/7/18 原 聖著
■ 
大英帝国という経験 (興亡の世界史) 単行本 – 2007/4/18 井野瀬 久美恵
■ イギリス近代史講義 (講談社現代新書)
新書 – 2010/10/16 川北 稔 著
■ イギリス帝国の歴史 (中公新書)
新書 – 2012/6/22 秋田 茂 著
■ 驚きの英国史 (NHK出版新書 380) 2012/6/7 Colin Joyce コリン・ジョイス著、 森田 浩之訳

◆ ブラザレンまでの英国のキリスト教概観

ローマ帝国の配下であった Britannia ブリタニア(Britain Island ブリテン島)とその周辺諸島の信仰は、15世紀まで、どの程度正統的なものかは別としてカトリック教会(Catholic Church)に強く影響を受けたものであった。現在ではVatican ヴァチカンですら、その存在が忘れかけられているような伝統がアイルランドなどでは残っているほどである。地理的に周辺部にあればある程、非常に古い形がその意味の保存は別として純粋な形で残りえる、という一例である。 なお、英国のキリスト教は、Henri VIII ヘンリー8世の時期にイングランド国教会(英国国教会、Anglican Communion アングリカンコミュニオン、日本では聖公会)がカトリック教会から教皇上訴権の廃止に伴い1533年に完全に分離する。 次回、英国国教会成立後の国教会分離派の歴史を追う。

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投稿日: 2015年3月27日 投稿者: カテゴリー: キリスト集会の原型, ブラザレン前史, ブラザレン史, 関連図書

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