Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

2) プリマス・ブラザレン前史~ヨーロッパおよび大英帝国を中心として(1) 思想史的側面

前回の記事では、宗教的な側面でキリスト集会が発展していくその先行者となられた人々、特に英国を中心とした人々とその動きを触れた。前回は、英国国教会成立後の成立氏を触れるつもりであったが、いきなり啓蒙主義に入るわけにもいかないので、その啓蒙思想の背景辺りから触れる。

本日は、思想史文化史的な部分を触れてゆきたい。しかし、中世期から近世期の西方(オクシデント)において宗教と思想はほぼ同義であり、厳密に分ける意味がないと思われるのであるが、世俗の学問という面にも着目すると、啓蒙時代を経た現在では世俗の学問系と信仰の側面との関連が薄い場合が多々あるので、宗教史と思想史を近世以降に関しては一応分けて議論する。

中世は暗黒時代で、愚かなことだけが行われた悪に支配された時代だ、とは必ずしも個人的には思っていない。中世であっても、そのスピードは緩やかなものであったが技術革新は行われたし、暦法や天文学などの知識の基礎、そして論理学の基礎が充実し、近代への準備となる土台は形成された、と考える。

◆啓蒙時代への突入

しかし、ルネッサンス期、文芸復興期を迎え、非常に大きく変容したことも確かである。様々な人文科学、自然科学が一気に花開いていく。また、イスラム世界に保存されていた古代ギリシアの数学や論理学も東ローマ帝国の崩壊とともに、オクシデント、すなわち西ヨーロッパに流入する。さらに、芸術も文学も従来の枠にとらわれないものも見出されるようになるとともに、ギリシアローマ的な哲学の復権、再発見も行われ、人間中心的なものの見方(世界観)も多くの人々の間に繰り広げられていく。

啓蒙思想は、文字記録・文字文献を中心とした思想史的運動である。文字文書の量産を可能にする印刷技術、書籍製作技術の普及、一般化、文字の読解力の一般への広がりがなければ発生しえない運動である。しかも、それは、ドイツでのグーテンベルグ聖書や、讃美歌集の印刷、神学書の出版とそれを通じた論争によって宗教改革が支えられたことなどにも見られるように、一種の革命的な出来事でもあった。この印刷技術の普及と印刷物価格の低廉化に伴う思想の活性化は、神学側では宗教改革として現れたのであり、世俗の思想側では、啓蒙思想として出現した。宗教改革と啓蒙思想は、当時の時代の車輪の両輪のようなところがある。

ところで、当時の印刷技術、出版センターの一つは、カトリック圏内にありながらもかなり自由な出版が行われたヴェネツィアであった。あともう一つ有力な出版センターの一つは、ローマからはるか遠く宗教改革の影響を受けにくかったアントワープ(フランダースの犬の主人公、ネロ少年とパトラッシュの小説及びアニメの中での死亡地)である。宗教改革関連の書籍のかなりの部分は、アントワープで出版され、大英帝国並びに北方ヨーロッパ各地で販売された。

日本のキリシタン版の金属活字は、おそらくヴェネツィア製であろうということが近年の研究成果から、わかっている。天正少年使節団の同行者の成人の手による「かな文字」を字母(手本)とし、ヴェネツィアでアルファベットのイタリック文字をカナ用の活字として鋳造して入れ替え、かな活字を作った可能性が高いことが研究の成果としてかなりの確度で推定されている。詳細はこちらの記事を参照。

Aldus_in_His_Printing_Establishment_at_Venice_Showing
アルド社(ヴェネツィア)の工房にいるアルド

Printing
アントワープの活版印刷工場

83836
当時の出版作業の様子
(インク塗布職人、組版職人、編集者、著者、校正担当者などが見える)


20140722_1080111
日本で印刷された金属凸版印刷によるキリシタン版
(紋章の左がマリア(満理阿)右側にエスス(イエス 世主子))

◆啓蒙主義という語

そもそも、啓蒙という語自体がかなり上から目線の語である。蒙(目が見えない状態・無知な状態)を啓くために、教えてやるという側面も持つのである。修道院や修道院付属の大学などが保有し、発展させてきた知識アクセスへの制限を外し、一般の人の知識へのアクセスを目指す平等化の側面を持つと同時に、知識階級が指導的立場に自分自身をおいてしまうという意味で、上から目線が、いかんせん含まれてしまう。

英国のオックスフォードにしても、ケンブリッジにしても、パリ大学にしても、本来修道院の付属の研究教育施設(セミナリオ→ ゼミ(ドイツ語)・セミナー(英語))であった。そこでは、当然、医学よりも、法学よりも、最も大切にされたのは神学であった。工学や理学、経済学などの現代の学問が形成されていくのは、19世紀ごろとかなり後になってからである。

イングランドで、17世紀に啓蒙思想が起こり、貴族社会を中心とした、あるいは新興貴族社会を中心とした科学研究、それは一部化学のように、錬金術的な伝統をその出発点に持つものであっても進められていくようになる。

◆自然神学だった科学

科学はもともと自然神学と呼ばれたものであり、神学の一部をなしていたが、神学の一部であることをこのルネッサンス期の中期から啓蒙時代に入った時期に停止しはじめ、新興の学である科学として、科学独自の論理で進んでいくことになる。この結果、啓蒙時代の末期には、科学万能主義がうたわれ、将来は科学によってより素晴らしいものになっていくという根拠のない主張が、20世紀末まで幅広く受け入れられ、一部においては、現代でも展開されることがある。そして、巨大科学技術中心主義に向かっていく。そして、理性が神の座を占めるというような一種の偶像崇拝も起こる。この結果、進化論と聖書理解の対立が論点となり、後年の米国ではスコープス裁判へとつながっていく。

この合理性、科学性の重視の中で、近代的な聖書学の基礎となるテキスト批評学が発展しはじめる。この結果、聖書を部分に分けて、分割し、合理的、かつ、理性的な判断の結果、無矛盾であるような本来的な聖書本文テキストがあるのではないかということをアプリオリ(先験的)に想定し、分析していくことが始まる。そして、科学的な観点から受け入れ不可能な部分に懐疑的な目を向けていくのみならず、それを意図的に聖書理解のなかから排除して行こうという動きまで後に生まれる。これに関しては後に詳述する。

◆啓蒙思想と政治経済

啓蒙思想のもとで、政治思想の面では、従来の王権神授説に代わり、絶対君主の時代から、立憲君主制へと、そして、民主制の萌芽がみられていく。これは後に別項で詳述する。

また、科学技術の発展に伴い、工業生産の生産性の向上と、商業資本、工業資本の充実が図られていく。これに関しても、次週別項で詳述する。

◆啓蒙思想と哲学や倫理学

倫理や哲学の面でも、人間をどうとらえるのかが関心事となり、パスカル、デカルト、ベンサム、ロック、カントなど現代思想の基礎が積み上げられていく。ある面でいうと、神や教会からやや独立させて人間を見ることが可能となった時代であり、人間というものを合理的な施策の中で、どうとらえ直すのか、人間の思想をどうとらえていき、人間と社会や国家の関係を教会抜きに考えることが可能となったのである。といっても、教会や神と人間との関係においては、これらの時代の人々でもその距離感覚は一様ではないが、絶対の存在として、教会や神を前提としなければならないという思想における縛りはかなり緩くなっているように思われる。

◆啓蒙思想が生んだ平信徒主義

啓蒙思想は、知識の普及、知識の一般への開放を行うことになったが、この結果、従来は長い訓練と研鑽が必要だった知識へのアクセスを一気に可能にした。

情報伝達という側面から考えれば、手旗信号やモールス信号で特殊な技能教育を受けた人同士でのみ知識伝達が可能であり、一般人はその知識をありがたく拝聴させていただく、という感じであったところに、突然、フルHD規格の動画がスムーズに見える位の広帯域のインターネットが導入されたのと同じである。これで、革命が起こらないほうが不思議である。

基本的人権の可能性に啓蒙時代人であれば、否応なくさらされる。そして、それは政治的な側面にも出てきて、市民中心の社会、権威者への疑念から、権威者への否定とつながっていく。プリマス・ブラザレン派が司牧あるいは教職をもたない背景には、この啓蒙思想の中で形成された運動体に源泉があるものと思われる。

◆啓蒙思想とプリマス・ブラザレン運動

つまり、社会で啓蒙思想が広まった結果、「なぜ、司僕だけが偉そうに、また恭しく聖餐式を執行するのか」、「なぜ、司僕だけが偉そうに聖書解釈をするのだ。我々だって、いまなら英語の聖書があるから聖書は読めるではないか」、「我々にだって、按手礼を受けていなくとも伝道できる(Anthony Norris Grovesが典型)ではないか」、「神の言葉は語れるではないか」、「我々だってできる」という反権威的な行動にキリスト教の世界で無謀にも船出したの が、ブラザレン運動の出発点でもある。当時、最年長者でも40歳前後である。あとは20代、30代である。ある面、プリマス・ブラザレン運動は、若気の至りで始まった、という部分が あるような気がする。

しかし、これらの初期のプリマス・ブラザレン運動の関係者のほとんどは、貴族であったり、医師であったり、弁護士であったり、古典学(ギリシア語、ヘブライ語) 教師であったりと、ラテン語扱えるのは当然どころか当時でもほぼ全員が古典学であるギリシア語・ヘブライ語が操作できる教養人であり、神学の基礎ができている方がほとんどであり、さらにいえば、大学卒ばかりであったのである。日本のいまの大学卒と 一緒にしてはいけない。いまの日本のクリスチャン人口の全人口に対する比率並みの極めて社会に少ない層の人たちだったのだ。

◆啓蒙主義からロマン主義と神秘主義

啓蒙主義が行きついた先には、ロマン主義が生まれる。理性偏重であった啓蒙主義時代の反省、あるいは否定として、ロマン主義が生まれ、感性や感情、美や審美性が重要視されて行くことになる。さらに、この感性面や感情面の重視という側面から、人間中心や自民族中心、民族文化の高揚が一層押し広げられていく。

そして、政治的には、独立運動や、国民性が重んじられるようになっている。また、このロマン主義と並行ないし、ロマン主義の先には間性や感情と直結しやすい、霊の世界と深いかかわりのある神秘主義が待っている。その中で、霊性の重視が初代教会以来のキリスト教的神秘主義の影響なども受けながら、その神秘主義への関心も高まる。

預言理解も、この神秘主義的傾向から、神秘主義的に書かれた黙示録やエゼキエル書、ダニエル書の理解を神秘主義的な方法論で理解しようという試みが生まれていく。

このような歴史的経緯を経た社会の雰囲気を持った社会の中で、キリスト集会はその出発をしていくことになる。

次回 経済史の側面から触れる。

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投稿日: 2015年4月3日 投稿者: カテゴリー: ブラザレン前史, ブラザレン史, 関連図書

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