Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

2) ブラザレン前史~ヨーロッパおよび大英帝国を中心として(4) 教会史的側面

キリスト教国を経験しなくてよかったかも

日本は、幸か不幸か、国教会ということを経験したことがない。その意味で、日本はいまだかつてキリスト教国であったとはいえない。個人的には、ジョン・H・ヨーダーの遅れてきた弟子の一人だと、勝手に思っているだけであるからかもしれないが、日本はコンスタンティヌス的キリスト教(つまり、国教化したキリスト教)を経験しなくてよかったと思っている。

戦争中できたという日本基督教団とやらがあるではないか、とおっしゃるなかれ。

1940年以降の日本基督教団とキリスト教国とは別物

あれは、戦争遂行のために日本におけるさまざまの弱小キリスト教集団を単に寄せ集めたものにすぎないと思われる。いわば、あちこちが破たんした張り子の虎のような状態であった、とでも表現可能かもしれない。あるいは中の人が見えてしまう、ゆるキャラみたいなものであると思う。求心性も統一性も何もないからこそ、天皇陛下のため、と天皇制を求心核として、恥じらいもなく大東亜のために、八紘一宇のため、とか当時の関係者は言い得たのでわないだろうか。

末端の神学生やら牧師さんやら、伝道者の方々のかなりの部分は、キリスト教会と天皇制の不幸な融合と国策への協力に関して、あほらしい、と思っておられたということは承知つかまつっている。なお、このことに関しては、1960年代に日本基督教団さんとしてのけじめは、一応けじめはつけておられる。

しかし、この問題が亡霊のように昨今話題となったのは、「日本を愛するキリスト者の会」(これが関西系のキリスト教界人が結構かかわっているからうっとうしい)とやらがキリスト新聞で広告を打ったからである。

そのような、張りぼてかと思われるほどの戦争中の日本基督教団ですら、戦争協力をしていたのであるから、英国やドイツのような国教会が1940年以前に日本で成立していたら、ろくでもないことになっていったと思う。

英国の国教会と分離派

英国の宗教改革というよりは英国国教会もヘンリー8世、エリザベス1世のころは、様々なキリスト集団の基本寄せ集めに近い印象があり、あまりにもめごとが起きるので、とりあえず統一見解として、英国国教会39カ条が議会上下院で承認され、「われわれは国教会になったのである」ということになったのだとおもう。出派国教会の統一は、何を基準にして統一体を形成したかというと、祈祷書であるということになったのである。そして、英国国教会はVia Media(中道)ということで、カトリックから、プロテスタントの影響の強い人までを含むモザイク状としての一体、ということを選んだ模様である。

カトリックの組織運営

カトリックとつながりのある友人やカトリックの司祭にお伺いすると、カトリックも実際には、地上的には教皇による一致という側面もないわけではなく、異言を語るグループもカトリックなら、解放の神学もカトリックなら、ナウエンもカトリックであるし、マザーテレサもカトリック、と実態的には様々であるが、教会としてはその多様性の中で一つ、ということなのだそうだ。つまり、カトリックは云々、カトリックだから云々、という議論はできないほど、その内部は複雑だそうである。

この組織運営方策は、ローマ帝国の組織統治とよく似ている。ローマ帝国が長期間運用可能であった背景には、このような柔軟な社会への受容システムがあり、異民族を受容してきた歴史がある模様である。

国教会分離派

大英帝国の特にイングランド国教会は、多くの分離派、Separatistあるいは、非妥協派とも訳すべきnon conformistが分離していく母体となっていった。そもそも、英国の国教会からのカトリック性の排除、宗教改革の進展を目指した改革派を中心とするピューリタンや、成人洗礼を重視し、ロンドンで始まったバプティスト、ウェスレー自身は諸要因を検討した上、残留を決意したウェスレー先生であったにもかかわらず、その弟子たちが勝手に分離したウェスレー派(メソディスト派)、他にも、組合派(会衆派)、クエーカー派などがある。
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カンタベリー大聖堂

プリマス・ブラザレン派が受け継いだ多様な教派的傾向

プリマス・ブラザレン派は、国教会司祭や国教会関係者が初期立ち上げに関与したグループに多いことから、このSeparatistやnon confromist と理解することができよう。しかし、教会論や教会政治のあり方としては、会衆派(組合派)の影響を受けており、個別教会の相互独立と、信徒の一致概念を引き継いでいると言えよう。幼児洗礼を後に認めなくなる背景(1830年代までは認めていた模様)はバプテストからの聖書理解を引いていると考えられる。また、神学的な聖書理解と聖書の中心性は改革派から引き継いでいると言えよう。長老が重視されることは長老派から引き継いでいる。また、証の重視と信徒間交流の重視などは、ウェスレー派から受け継いでいるし、霊性あるいはスピリチュアリティの重視は、成立の初期段階、1830-1860年代にかけてかなり流入が見られたクェーカー派及びシェイカー派の人々から受け継いでいる。その結果、まぁ、イギリスのキリスト教史の教会思想史の見本市というか博物館状態を、近年までのプリマス・ブレズレン派の後継団体は引き継いでいるし、この傾向は日本において顕著であると思われる。ただ、ある段階で、他のキリスト教の集団との交流を断絶している場合、それ以降の影響は流入してこなくなるため、閉鎖段階での神学的理解が固定化され、その状態で他派から閉じた瞬間の聖書理解が保存され、化石化することになる。

組織神学を重視しなかった結果

さらに、組織神学、神学的教育を重視してこなかったために、これらの様式論的な聖書理解が整理され共有されているわけでなく、時と場合により、それぞれの地域におけるキリスト者集団あるキリスト集会の責任者(長老)、あるいは巡回説教者で信徒一般から評価の高い人物の理解があるキリスト集会、ないし複数のキリスト集会、あるいは日本全国のキリスト集会の聖書理解にかなり影響を及ぼすという状況になってきているものと類推される。

つまり、神学的思惟の「ちゃんぽん」状態というか、デパート状態というかで、その時々の影響力の大きい人々の推奨の聖書理解が個別キリスト集会や複数のキリスト集会群の聖書理解になってきているという現状があるようにも思われる。

このような事情があるため、本来多様な教派との連携が可能であるにもかかわらず、キリスト者集団として、神学的傾向に特徴が見いだせないがゆえに、外部の第3者が認識しやすいキリスト集会群に共通の特徴を見出すのが困難であるため、一つの教派としては分類あるいは認識しがたいという側面があるものと思われる。その意味で、カメレオン的組織論の特徴をもつ。

しかし、現代組織論風の言葉でいえば、Critical Theological Group(環境や状況に応じて最も適切な神学を適用するグループ)あるいはCybanetic Theological Group(環境に適応しながら神学を確立する傾向のあるグループ)となっているとは言えるかもしれない。

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投稿日: 2015年4月23日 投稿者: カテゴリー: キリスト集会の原型, ブラザレン前史, ブラザレン史, レビュー, 神学

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