Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

3)英国国教会などからの分離

成立期にキリスト集会運動を展開しようとした大英帝国 Great Britain (とりわけアイルランド Ireland)での初期メンバーの大半が、英国国教会関係者であり、司僕までが含まれた、ということは触れた。そして、当時、英国では、この比較的少数者からなる類似の分離派運動が多数存在したことも以前ふれた。

スコットランド Scotland では、そもそも改革派が伝統的に強い土壌があり、アイルランドでは、カトリックが強い土壌があり、その問題から、アイルランド国教会を大英帝国の国教会グループ、アングリカンコミュニオン Anglican Communionの一角として認めるか問題に端を発する運動として、オックスフォード大学で論争が戦わされた、オックスフォード運動、トラクタリアン運動がある。この運動は重要なので、別途関連資料も紹介しながら、お知らせする。

多様なキリスト教徒と一つであろうとした出発点

また、これまでふれてきたように、Puritanとくくられたり、Separatistとくくられたり、Non Conformistとくくられたりすることがある、英国内で政治的にも世俗的にも冷遇されていた英国で国家と英国国教会とが一体化しいていることに対して、批判的な目を向ける非国教会教徒が、多数存在した。

当時の英国のキリスト集会派の皆さんは、あえて教理を知りながら、教理を定めないことでこれらの多くの非国教教徒の人との幅広い連携と交流の道を模索しつつ、神のからだとしての教会を大英帝国内で目の当たりにしたいという思いから、キリスト集会を立ち上げ、そして、当初は平日の夜、個人宅で聖餐式をしていたのであるが、後に、日曜日に正式に聖餐式を、そしてのちに伝道活動を始め、そして独自に集会所の敷地を入手することになる。

ダービーの国教会からの離脱
ジョン・ネルソン・ダービー John Nelson Darbyは、もともと国教会司祭であり、アイルランドで活躍していた人物である。以前ご紹介したべレット Bellett氏と親交が深く、からの離脱組である。ダービー氏が国教会から離脱する原因は、カトリック的なものからの離脱に関しての課題であり、当時のダブリン大主教 マギー Archbishop Magee of Dublin からのダービー叙階への疑義が提出されたことに由来するものと思われる。このMagee大司教は、プロテスタント(つまり国教会)の司祭は英国支配への忠誠を示すべきだ、と考えていたようであり、カトリック教会からの転向した人々に、英国の優位性を求めるべきとした人であった。

DARBY3b
ジョン・ネルソン・ダービー 40歳くらいの頃

このマギー大司教との対決はダービーにいやしがたい傷を残した模様である。そして、馬からの落馬事故からの治療中に、ダービーはたまたま、フラン シス・ウィリアム・ニューマン Francis William Newman (オックスフォード運動の立役者 John Henry Newmanの弟)と出会うことになる。そして、アンソニー・ノリス・グローヴス Anthony Norris Grovesから強い影響を受けていたフランシス・ウィリアム・ニューマンが述べるキリスト教の在り方の姿に、ダービーも、べレットも急速に関心を深めて 行ったようである。もし、ダービーが落馬しなければ、ニューマン弟と出会うこともなく、キリスト集会もなかったかもしれないと思うと、神の支配(神の国)の不思議さを感じる。

聖餐重視の背景
しかし、ダービーは国教会の主流の意見であった国家に対して教会が優位性を認めるべきだという見解には納得できなかったようである。ダービーはこの時期、On the Nature and Unity o the Church of Christと題する非常に難解で分かりにくい文章で書かれたリーフレットを出版し、教会と国家、政府とのかかわりにもかなり強硬な批判的な文章が記載されている。この本(古いダブリンでの1828年版)の中で、大英帝国の諸教会が様々な事情から分離派を産み、そしれそれが分断されていることを批判的に述べ、キリスト者がキリストにあって、キリスト自身と和解(reconciled)するため、天おいても地においても一つであり、そしてその一つであることの中心には、イエスの死を覚える聖餐が中心であり、聖餐に参加することが一致の象徴であり方法論であるべきであると主張している。キリスト集会派が、極めて聖餐式を重視する背景がここに生まれる。なお、教会ごとに違いがあるが、現在の英国国教会は聖餐式論においてダービー時代のアイルランドのような非国教会の信徒が聖餐に参加できないということを強硬に主張しておられない教会もある。

神秘主義的な傾向をもったDarby氏
ところで、Darby氏の母親がクェーカー派であったこともあるのであろうが、ダービーは神秘主義的な人物であり(従って彼が書いたものは読みにくい、あるいは霊的な豊かさに満ち溢れている)、集会で具体的かつ実際的にどうするかということは書いておらず、霊的な洞察に従い、賛美に至るべきだ、としている。しかし、これは、危険な誤解を生みやすい要因をもつものであった。そして、この霊的かつ思索理解の困難性は、これらの後継者が一貫した聖書理解をもたらせないという問題が発生するまで続き、このことは、ダービー派の人々での悲劇を形成する要因の一つでもあった。

Doubline1800
1800年代のダブリン市内
ダービーのミドルネーム、ネルソンはネルソン祈念柱のネルソン提督が親族だったため

本日の記載は、Coad(2003) A History of Brethren Movement, Chapter 2 と Smith(1986), Roots, Renewal and the Brethren の記載に依拠している。

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