Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

3)国教会などからの分離 George Müllerとブラザレン(1)

キリスト集会あるいは、プリマス・ブラザレンで最も幅広く知られている人物が、George Müller、ジョージ・ミュラーとか、ジョージ・ミューラーとカタカナ表記される人物である。


George Müller

多くの人々に影響したMüller

今回の公開では、この人物を中心として触れてみたい。この人物に関しては、数多くの伝記本が出されている。この人物は、ハドソン・テーラーにも、影響している。

ハドソン・テーラー

ハドソン・テイラーに関しては、次のような最近の本がある。

『19世紀の聖人 ハドソン・テーラーとその時代』 八木哲郎 著
キリスト新聞社 A5判・上製・368頁 定価2484円(本体2300円) 978-4-87395-666-4

ハドソン・テイラーとその生き方は、日本にかかわるだけで、ギュツラフに影響を及ぼし、初の日本語訳聖書を作成したギュツラフ訳聖書を作ったギュツラフ先生に影響を及ぼし、日本イエス・キリスト教団の基盤となった日本伝道隊のバクストン先生に影響を及ぼし、関西学院大学の開祖ランベス先生に影響を及ぼしている等数数えきれない影響を与えている。特に、OMFの働きは忘れることができない。
日本では石井十次

をはじめとした様々な人々に影響を与えている。

元々ユダヤ人への伝道者だったMüller

ミュラー自身の詳細な動きに関しては、自伝を含め各種伝記を参照してほしいが、ジョージ・ミュラーは、そもそもロンドンでのユダヤ人伝道のための組織 London Society for Promoting Christianity Amongst the Jewsで働いていた。病気の転地療養のため、訪問していたTeignmouth(ティンマス) https://goo.gl/maps/PZC6Y にて、Henry Craikに出会う。

Craikとの出会いとブラザレン運動のかかわり

このHenry Craikこそ、以前ふれたAnthony Norris Grovesのバグダッド伝道旅行に同行した人物である。このHenry Craikとの邂逅を経て、ミュラーは英国内で組織によらない伝道活動に身を投じていく。そして、London Society for Promoting Chrisitanity Amongst the Jewsから退職勧告を受けるも無視し、独自の伝道の道を突き進んでゆく。そして、独立伝道者の道を選んでいくことになる。

ジョージ・ミュラーの特徴は、ユダヤ人とのかかわりをその伝道の原点に持つことであり、当時ヨーロッパ社会で悲惨な思いをしていたユダヤ人とその実際の生活面での救済活動と、伝道活動と、シオニズム運動とのかかわりという面は、非常に重要ではないか、と思う。しかしながら、この辺りのことはあまり明確に書かれたものは、管見する限りあまりなく、今後の課題ではないか、と思っている。

Craikとのかかわりの中で、Devonの教会で奉仕する中で、そこの会衆から牧師として残ることを要請され、そこでの奉仕を始める。1830年にアンソニー・ノリス・グローブスの妹と結婚する。その意味で、Craikはあまり着目されることの少ない人物であるが、キリスト集会の人脈を形成する意味で極めて重要な役割を果たした人物である。

ベテスダチャペルとCraikとMüllerの共同奉仕

1832年にCraikとともに、ジョージ・ミュラーとBethesda Chapelベテスダチャペルあるいはベテスダ集会で奉仕することになる。この集会こそ、John Nelson Darbyを中心とする人々がConnexial Brethrenと呼ばれるグループを形成し、ジョージ・ミュラーたちを中心とする人々がIndependent Brethrenと呼ばれるグループを形成するきっかけとなる論争が発生する舞台となる集会である。

孤児寄宿型教育機関の原型

割と早い時期から、ジョージ・ミュラーは後の孤児教育の原型となるような国内外での伝道を実施するための伝道者養成機関ともいうべきScripturall Knowledge Instituteといわれる教育機関をCraikと共に構想し、 設立する。そもそも、様々なレベルの聖書知識の必要に応じた教育機関として、子供向けから、青年向け、また、大人向けの聖書とその関連知識の教育機関を設置したのであり、現在の「キリスト集会」を自称するキリスト者群の志向性とはやや違う理解の味わいを持っていたように思われる。

ただ、外部の資金を求めず、キリスト者の篤志家の人々からの支援で教育機関を運用しようとしたという意味では、後の孤児教育機関と非常に類似した性質をもっていたといえよう。こと期の経験が、後の孤児の寄宿型教育機関の運営の原型を形成に貢献した者と思われる。

Muller氏の設立に関する文書が、George Muller自伝 7章 The Scriptural Knowledge Institution:(http://bibletruthpublishers.com/the-scriptural-knowledge-institution-chapter-7/george-muller/the-autobiography-of-george-muller/george-muller/la89656)で読める。

なお、Faith MissionとMullerを世界的に有名にした孤児の寄宿型教育機関の運営に関しては稿を改めて紹介したい。

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