Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

3)ブラザレン前史~ヨーロッパおよび大英帝国を中心として 英国国教会分離派とその形成

これまで、ダービーの国教会からの分離、続いて、ロンドンのユダヤ人伝道単体からのミューラーの分離を説明してきたが、案外見落としてはならないのが、英国国教会が、日本や米国における伝道主体の出発点というか、その生育土壌になっていることである。その意味で、この記事で英国国教会が成立後の英国分離派を中心とした英国宗教史の概観をしてみる。

ピューリタンの一部としての改革派とスコットランド

まず、最初に分離したのが16世紀末のピューリタン、特に改革派の人々である。

こ の当時、英国国教会から分離するということは、1)公職からの追放、2)オックスフォード、ケンブリッジ大学など高等教育での教育機会からの排除、などを意味した。この辺りのことは、野呂著「ジョン・ウェスレーの生涯と神学」に書いてあった。

即ち分離派であることは、個人の生活をより豊かにするために利用可能な一種の公共的な資産、あるいは社会的資源(たとえば政治的な参与や公職への就業など)への アクセスが制限されることを意味した。この不平等な取り扱いと社会の中でに人間扱いされない状況のために、アメリカに渡ったのが、メイフラワー号等で新大陸に渡ったピューリタンの人々といっても過言ではない。彼らは新しいイングランド (自分たちの理想が実現可能なイングランド すなわちボストン近郊から北東に広がるニューイングランド地方)を建設するということで米国にニューイングランド植民地を建設する。当初は植民地であり、あくまで英国国法の枠内での植民地であった。


アニメ The Simpsonsに描かれたピューリタン姿の熱心なキリスト者のフランダース氏とLisa Simpson嬢

ところで、以前にも触れたが、スコットランドは連合王国になるまで、独立国であった。さらに、山岳や荒れ地が多いこともあり、もともと貧しい地域でもあった。さらに、北欧やオランダと距離が近いこともあり、改革派的な特徴を持つキリスト教理解が流入しやすい環境にあった。また、イングランドからたびたび攻略されたスコットランドは、最終的には王国連合という形で大英帝国を形成することとなったが、実質的には、併合されたという印象がスコットランド側の市民の歴史感覚の中にはあると思う。

ス コットランドでは、伝統的にカルヴァン派の人々が一定程度存在し、カトリックと共存していた。このPresbyterian(長老派)と呼ばれる、スコットランドの国教会(The Kirkとも呼ばれる)となる。特に、英国の支配とのかかわりで、スコットランドでは、この長老派が大虐殺された歴史もある。後にスコットランド国教会から自由教会 が分離する。また、先にも述べたようにもともと独立国でもあった関係から、独立心の強いスコットランド人でもあり、宗教的には英国国教会とは違う長老派であったこともあり、信仰面でも、経済面でも抑圧を経験しており、結果として地域的に冷遇されたという思いを抱くことになりやすかったものと思われる。このことは、現在のスコットランド独立運動にも影響を及ぼす。

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The High Kirk of Edinburgh (Kirk とはスコットランド・ゲール語でChurch)

カトリック国アイルランド王国と国教会

アイルランドでは、伝統的にカトリック教会の信徒数がおおく、これがカトリックから分離した英国国教会との間に複雑な影を落とす。実際に大英帝国内最初の植民地としての統治を受けた信仰面でも国教会以外のカトリックの信者が多いことこともあり、冷遇され たという意識が残っていると思われる。近年、アイルランドでは過激な独立運動は一種収束したものの、いまだに独立運動が続いている。

また、海を渡れば案外近いということもあり、アイルランドとスコットランドの間には、ブリテン島の支配者による最初の植民地となった関係から、相当頻繁な交流があったことが知られている。
cathedral-out1
St. Patrick’s Cathedral, Armagh

イングランドでの様々な分離派

分離派の中では、17世紀初頭に信徒の権能と教会自治を求め、より純粋な形での教会改革を求めて国教会から分離した会衆派(組合派)が生まれる。組合派では、会衆主義が取られ、それまでの司祭の中心性や官僚主義的な教職の階層性を否定的にとらえ、非常にフラットな教会政治と個別教会の独立性の概念が主張される。しかし、教会政治のために長老が置かれることがあり、また、教会を構成する信徒の民主的な参与と関与をかのうにした。

また17世紀には、宗教改革として古代教会時代に戻すべきだ、という思いから、当時行われていた滴礼式のバプテスマではなく、全身浸礼式のバプテスマが求められることになる。古代ヨーロッパ、中世ヨーロッパでは清浄な水の稀少性やキリスト教以前の習俗、また、低気温などの気候条件、伝染病の問題などから、全身浸礼式のバプテスマが現実的でなかっただけであろうと思われる。無論、ヨーロッパでのアナバプティストの影響もあると思われるが、通常の英米圏のバプティストはスイス・ドイツ系のバプティストとは直系の関係にないとおおむね考えることができる。

同じく17世紀 に信仰の純粋性を求めて、クェーカー派が分離する。彼らは、一種独特の霊性を重視し、内なる光とも呼ばれる聖霊の働き、聖霊の示しを重視する。聖霊に導かれることを重視するため、事前に定めた様式に従う礼拝ではなく、その場で導かれたような形での礼拝を勧めていく。さらに、教会政治においては、聖霊の導きによる一致という点を強調する。クェーカーという名称は、彼らが祈りや霊的体験をした際に特殊な体の動きをすることに由来する蔑称であるとされている。この中で、分離したクェーカー派の中でかなり主義主張の強いシェイカー派と呼ばれるグループが18世紀に分離する。スコットランドでこのグループの人々が初期の英国のキリスト集会に大量に流入したことが知られており、その影響は現在にも至るものと考えられよう。

18世紀にはまた、John Wesley(ジョン・ウェスレー)と讃美歌作家として有名なCharles Wesley(チャールズ・ウェスレー)の後継者たちは、国教会から分離すること(ウェスレー自体は、国教会にとどまろうとした)で、ウェスレー派、あるいは、メソジスト派が分離し、英国での伝道活動を行うと同時に、アメリカでも広がっていく。多くの集会で使っている聖歌の中には、このチャールズ・ウェスレー作曲の讃美歌がかなり存在する。また、ウェスレーの親族(特に母親)と分離派の関係に関しては、野呂芳男 「ウェスレーの生涯と神学」をご覧いただきたい。
ウェスレー派では、宣教を効率的に進めるため、信徒伝道や一種の監督制(司牧の任命制)、街頭説教のかたちをとり、急速にその教会群を広げていく。メソジスト派の名前の由来は、信仰に至るための新しい方法New Methodとウェスレーが主張したことからつけられた蔑称である。ウェスレー派からは、その伝道熱心さ、平信徒による伝道、巡回伝道者制度などを引き継いでいるものと思われる。また、ウェスレーが東方正教会系の神学の影響を受けており、神の前に手を伸ばしていく前傾姿勢の神学を含んでおり、このことは、ウェスレー自身が、一種の宗教改革的、つまり、古代教会時代への回帰的精神をもっていたものであることが分かる。

なお、John Nelson Darby は”The Doctrine of the Wesleyans on Perfection”というウェスレー主義に対決的に議論を挑んだ書物が出ている。なお、日本では、非売品であるが有馬平吉氏による翻訳が出ているが、残念ながら非売品である。ただ、それだけ、ウェスレー主義の影響が強く、また、当時の大英帝国内のキリスト集会とウェスレー派の外形的類似性が高いため、自分たちに関しての護教というのか、弁証のために、このような文書が必要とされたということではないか、と思われる。

このような宗教的風土の中で、ブラザレン派はその最初の活動を開始していくこととなる。

この辺りのことは以下の書籍を参照されたい。

■ イングランドの宗教―アングリカニズムの歴史とその特質  – 2006/9 塚田 理
■ イングランド国教会―包括と寛容の時代  – 2008/3 青柳 かおり 
■ 複合国家イギリスの宗教と社会―ブリテン国家の創出
– 2012/7 岩井 淳 
■ 
Brethren in Scotland 1838-2000 – 2003/12 Neil Dickson
■ ウェスレーの生涯と神学 1975/ 野呂芳男著

近年のブラザレン史研究の中では、ブラザレン派は、国教会の分離派 non conformistととらえる方がよいとされている。というのは、初期の信徒のかなりの部分が、 J.N.Darbyをはじめ、国教会から離脱した人々で占められていること、最初の聖餐式がEdward Wilson宅で行われるまでCroninが分離派間の超教派活動を行っていたことが出発点の一つにあるこ とがその理由の一つとして挙げられよう。

次回、19世紀初頭のオックスフォード運動について触れる。

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投稿日: 2015年5月14日 投稿者: カテゴリー: キリスト集会の原型, ブラザレン前史, ブラザレン史, 関連図書

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