Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

プリマス・ブラザレンの分裂への序曲(4)

今回は、ニュートン夫人の没後しばしの静けさが破られた辺りからの記述から始めてみたい。今回も、Tim Grass(2006)のGathering to His Nameのpp.75-76の記述をもとに考えてみたい。

ダービーによるニュートンへの攻撃

Darby(ダービー)は Narrative of the Facts, connected with the Separation of the Writer from the Congregation meeting in Ebrington Street という書物を出版し、ダービー側の視点からのこの一連の出来事を記述している。この書物の中で、ニュートンが意図的に教え込もうと見えたSystem(体系)を中心に攻撃している。特徴的な事として、ダービーは、このシステムを主張している人が、神と個人の間に権威を建てようとしていた多くの証拠があり、この体系の受容そのものが悪魔のわざの印(mark)であるとしている。もう少し言えば、ダービーは同書の中で、ニュートンの指導者(Teacher)としての権威性が疑問視されることになり、(普通の人にも)開かれた牧会から司牧制度の発展につながりかねないことを長期間にわたってきたことに関して扱うことになったであろうプリマスのRawstone集会での聖書を読む会(reading meeting)への普通の人々の参加をニュートンが断ったことを攻撃したのである。

この記事においてGrass(2006) からの上記の引用している者の個人的な印象ではあるが、この種の問題のすり替えとそれに基づく個人攻撃は、ダービーの最も得意とするところであったのかもしれない。この種の問題のすり替えによる個人攻撃は非常に問題が大きいと思う。問題の本質がずれてしまって、本来修復可能な事であっても、修復不可能にするし、コミュニケーションが混乱するからである。実際に、この事件ではコミュニケーションの混乱が発生している。それは個人間だけにとどまらず、キリスト集会全体に及ぶものになった。

結果として除名されたニュートン

そして、1846年11月にニュートンはロンドンに赴き何人かのキリスト集会関係者とあって、これまでの出来事に関する疑問に答えたが、プリマスのRawstone集会での会議に出席することは断った。この結果、1846年12月の割と早い段階で、Rawstone集会は、ニュートンの聖餐式への出席を禁じ、除名した(excommunicated)。ニュートンの支援者はこのRawstone集会の対応に反対はしたが、Tregelles(初期ブラザレン指導者の一人)は、プリマスのRawstone集会の対応は、大都市の法廷と同じことをしているに過ぎないと批判した。おそらく、この一連の出来事の結果であろうが、Congleton卿はニュートンかダービーかのいずれかの一派に与することを断り、Rawstone集会が、良くも調べもせずにダービーの主張をうのみにし、ニュートンがなぜ、彼らの疑問に答えることを断ったのかの理由を尋ねることをせず、除名処分にしたのか、ということを批判した。

キリスト集会派では、除名ということが比較的安易に行われてきた印象がある。そのことの基本的原型が、このプリマスでの出来事に由来しているのかもしれないと思うと、何とも言い難い気分になる。

なお、このCongleton卿は、Faith Mission(信仰のみによる伝道)の原型となったA.N.Grovesがバグダッド伝道旅行で渡航する際にヨット等の提供を行い、最初の頃のキリスト集会のパン裂き集会の場所を提供する等、かなり重要な働きをした人物である。

混乱の原因となった真実の認識

この問題の原因を考えてみると、信仰上における真実(religious truth)の認識が、NewtonとDarbyで違っていた、ということもあるであろう。ダービーにとっては、モラルや行動様式上の真理の影響を強く捉え、このプリマスの一連の出来事をモラル(倫理)上の問題ととらえ、ニュートンが彼の理解を広めたことを問題としている。ニュートンは、モラルと教理の問題は関係していると考えていたものの、教会と神の国(王国 kingdom)の同一視は信徒たちに最悪の倫理的な影響を与えるとEbrington通りにある集会宛の手紙で書いている。

本来、キリスト集会派は、ローマ帝国によりキリスト教国化することの選択の結果生まれたコンスタンティヌス的キリスト教(この辺りは、ジョン・ヨーダーが詳しい)に見られるような、教会と王国(kingdom)の概念が混乱した結果、国家が教会に優越する(当時の英国、とりわけアイルランドではそういう部分もあったであろう)様な状況への反論、異論として始まった運動体であることを考えると、この問題は案外根が深く、それだけに真剣に考えるべき問題であると思う。教会と国家なのか、教会と支配なのか、教会と権威なのか、というあたりは当時は十分整理されておらず、そのあたりの混乱が、ドイツでは20世紀中葉におけるナチスドイツ運動に結び付いたものと考える。

とりわけ、日本には、割と風紀や道徳にうるさかった19世紀ビクトリア朝時代を経てからのソンスタンティヌス型のキリスト教が大量に米国及び英国から流入していることから、この道徳と国家意識(国民国家意識や教会法と世俗法の間に明確な取り扱いの区別のない様な意識)とキリスト教が混然一体とした形で伝わってきており、現在でもその影響は若干見られるように思う。

本来的には預言理解問題

Tregellesはこの問題の根源は、預言問題を起点としており、次のように言っている。「もし、預言理解がニュートンとダービーで一致していたら、このような教会法的ないし牧会上の大問題には発展しなかったであろう」。預言問題に関して、ダービーとニュートンの間で文書が交換されたがダービーは、聖書のデータが含まれていない神学的システムを形成しようとしているとして、ニュートンを批判した。とは言いながら、ダービーは、異なる預言理解が彼の行動を導いているということを自ら認めようとはせず、異なる教会にけるリーダーシップのあり方の問題であるとして議論しようとした。更に、ニュートンのエリート主義が問題であるともダービー派主張している。そして、プリマスでは、パウロのような教養のある教師を用いもしたけれども、今は、ペテロのような教養のない漁師を用いて居られると、プリマスで広くそのことに言及したようである。ある面、ダービーは、聖霊の働きを非常に強調したことでは一貫していたのではあった。

ダービーとその母の影響

上記のTim Grass(2006)の記述の紹介者の印象ではあるが、ダービーの霊性の重視という背景には、ダービーの母が霊性を極めて重視するクエーカーであったことが影響しているものと思われる。野呂芳男(1975)の『ウェスレーの神学と生涯』ではウェスレーへの母の影響が示されているが、それと同様に、この段階で、ダービーの母のダービーへの影響は大きかったと思われる。実は、この種の影響は、幼児洗礼においてもみられ、ダービーはもちろん幼児洗礼を受けており、極めて初期の段階では、ダービーの母の影響もあり、プリマスブラザレン派でも幼児洗礼が行われていたことがNathan DeLynn Smith(1986)のRoots, Renewal and the Brethrenで示されている。

ダービーが主張しようとした非エリート主義とその影響

ところで、以下はこのブログの記者の個人的な印象であるが、現在でもなお、キリスト集会派の中では、「パウロのような教養のある教師を用いもしたけれども、今は、ペテロのような教養のない漁師を用いて居られる」とダービーが主張した内容と同等の内容が主張されるだけでなく、そこから一歩進んで、「ペテロのような教養のない漁師」のような人物こそが良いのだ、という主張が教職制度(牧師制度)の否定として繰り返され表現されることがある。それは、ダービーとニュートンの対立の中でも言われたものであり、それが我が国の教会形成時の高等教育機関による教育機会の不足とそこへの近接性の悪さいう特殊な環境の中でも独自に発展して行ったものであると考えられる。日本で、屈指の旧約聖書学研究者のお一人は、キリスト集会出身者であるが、今は別の教会に参加しておられる辺りの背景にも、この種の論理が働いているような印象がある。20世紀における世界的新約聖書学研究者でもあるF.F.Bruceは英国のプリマス・ブラザレン派の出身者であるが、相当苦労されたようである。

非エリート主義の主張と当時の英国の政治的背景

また、このような非エリート中心主義に関しては、英国における普通選挙法改正問題とかかわりがあると思う。1846年当時は、普通選挙が実施されていたとはいえ、都市の小規模商工業者や労働者には、選挙権がなかった。1867年の第2回普通選挙法改正において、英国でも初めて無産者と呼ばれた普通の都市労働者にも普通選挙が与えられるようになったのであり、それまでは政治は貴族や有産者のものであった。しかし、当時の市民社会では、これらの不平等改正に向けて社会運動家なども活躍して居り、ひとしく人々が扱われるべきというユーゴーの Les Misérables に見られるような産業資本の保有の多寡にかかわらず人はひとしく扱われるべきだというロマン主義的な思想が人々の間に広く共通認識となっていたように思われる。その状況の中でのニュートンのエリート主義であり、当時の社会からすれば、極めて確信的な極端な平等主義をとるキリスト集会群において、ニュートンの神学的主張は正しくても、政治的な立場は厳しいものであったと思われる。尚、ニュートンにしても、ダービーにしても、所謂高等教育を受けている当時のエリートの人々であり、普通の無学な人々と数えられる人々ではなかったことは、ここで触れておく。


映画「日の名残り」 英語版

上の動画で、1時間2分ごろ辺りからアンソニー・ホプキンス扮する執事役に貴族階級者が政治問題に関して聞き、おもちゃにするシーンがあるのであるが、このような対応が、1930年当時の英国でも割と一般的であり、今なおそういう部分が英国には残っているところを我々は忘れてはならないと思う。そして、その中で当時の社会における貴族階級への階級的反発が「ペテロのような教養のない漁師」発言のうちに含まれており、啓蒙主義が幅を利かせていく中で、一種大衆社会が実現しようとする、その大衆社会の走りの時代に起きた一種の大衆運動としてのプリマス・ブラザレン運動に含まれていた可能性も。それを踏まえて、ダービーが当時のプリマス近郊の人々をこの表現で社会にある一種の階級間対立を煽った可能性も考えねばなるまい。

これをお読みの方に、キリスト集会と社会階級制度との兼ね合いを考えるのはどうか、という御意見はあろう。筆者がエリート主義だというなら、言い給え。

しかし、それを無視しては理解できなくなることもあると個人的には確信する。当時の英国は現代の日本ではない。

アメリカ型民主主義モデルが持ち込まれた1945年以降の日本

日本は1945年にABCD包囲網への対応としての戦争に負けた(終わったのではない)こともあり、さらにその後、階級制度に否定的な米国の占領され、米国型民主主義モデルが持ち込まれたこともあり、英国型の階級制度とそれに伴う弊害からは免れているが、それとともに失ったものもあるはずであり、少し前のIRA問題のいくつかの重要な部分がアメリカ型の民主主義教育の理解しかない日本人には理解できかねる、と思うのである。

もし、筆者をエリート主義者と批判されるなら、まず、御近所の図書館で会田 雄次著 『アーロン収容所』と塩野七生の『海の都の物語』を御自身でお買い求めになるなりして、お読みになってからにしていただきたい。本当はもっと専門書をお奨めしたいが入手が困難なので、以上2冊をご紹介しておく。その上で、そのご批判される方の批判を受け止め、対話を望みたい。ご批判にはお答えする用意はある。

悪魔扱いの問題

更にプリマスでの問題が継続していく中で、『悪魔論(Satanology)』という語がもちいられる。この語は相手の行動や表現が悪魔的なものから出ているとする語である。この語により、本来、個人的特性の違いの衝突にすぎないものに関しても二項対立的な表現(2重性をもった表現Dualistic Expression)として取り扱うことになる。そのことを象徴するように、あるところで、ダービーは『主がその良さをもって救出してくださったところから敵の直接的な力と惑わしは来ている』とまで表現している。また、別の著者は、サタン的な活動という観点から見れば、反対者の全ての行動は疑わしいもので、なぜなら、反対者は悪魔に既に屈しているからである、という表現をしているものや、悪魔の手下である反対者は人間以下のものとして取り扱うべきであるとまでしている人々もいた。

あまりにひどい物言いではないか、とは思うが、結構そのこのキリスト集会の中でもこの2項対立的な立場は取られている様な気がする。残念なことであるが。さすがに最近は、筆者の回りではごくまれにしか聞かなくなったが、つい30年ほど前までは、イエスキリストを主とする信仰を維持しつつも、集会を諸般の理由で離れると、「悪魔の手に落ちた」という表現をしてみたり、集会の所謂『真理』と呼ばれる行動様式に疑念を呈すると、悪魔の手先扱いを受けるということは案外あったと認識している。この辺りも、ダービーとニュートンの間の論争に端を発しており、先の反エリート主義的な傾向と合わせて、このダービーとニュートンの論争の影響は今なお、日本のキリスト集会の中に一種の残響の様な形で響いているように思われる。

尚、この説の最後で、Tim Grass(2006) は次のように結んでいる。和解と回復の機会は用意されはしたものの、現実的には、それはありえないものであった。

次回以降プリマス・ブラザレンの分裂の本格化に関して述べる。

 

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投稿日: 2015年8月13日 投稿者: カテゴリー: ブラザレンの分裂, ブラザレン史, 神学 タグ: , , , , ,

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