Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

プリマス・ブラザレンの分裂の本格化(6) 分裂の結果としての紹介状

これまでの5回で、どのようにしてプリマス・ブラザレンで分裂騒ぎが起き、そして、本来教派の枠組みを超えた集まりであろうとしたにもかかわらず、結果的に二グループに分かれていったのか、そして、その原因となったのがディスペンセイション説と預言理解であるにもかかわらず、キリストの人間であることを巡る議論にすり替えられ、枝葉末節の昔の議論が蒸し返される中で、『誤った』教えや『悪Evilの行い』という、当ブログの筆者にすれば言いがかりとしか言えないことで論争が起き、大きく2分裂することになったこと、そして、それが他の集会からの信徒の受け入れに関する方法論についての問題とされたことを明らかにしてきた。

まぁ、人間的な努力で一つにはならないとはおもっている。むしろ、個人的な確信としては、キリストにあってすでにキリスト者は一つであるので、それを地上の教会論に基づく制度的なものや、教理的な区別で厳密に分けようとすることにはあまり意味がないと思っている。また、それを一種無理やりに、一つのかたち(目に見える組織や制度)として形成しようということの努力が無意味だとは言わないが、一種のバベルの塔を建設しようとする行為に近い部分はあるのではないか、と思っている。そもそも、一つのものとしてあるにもかかわらず、人間の営みによって本来異なっているものを無理に一つ共通のかたちや包括組織を形成することはナンセンスであはなかろうか、と思う。

誤った教えへの対応としての紹介状

ところで、冒頭部でも触れたが、Letters of the Tenが出て、誤った教えを持った人々が集会に入ってくることの内容に、聖餐式前のインタビューで知ろうとする(それで本当に調査できるのか、それで聖餐から排除することに意味があるのか問題は別としておいて)ことが重要とされる傾向が、ブリストルのミューラーとクレイクがかかわった、後にOpen BrethrenやIndependent Brethrenと呼ばれる集団では、プリマスのブラザレン派の主要な人物の一人である、J.N.Darbyがその後大きな影響を与えるExclusive BrethrenやConnexial Brethrenと呼ばれる集団から批判的に見られたことにより、その批判に対抗し、自分たちの在り様の正統性を示す必要に迫られることになった。批判者は割といい加減に言ったとしてでも、批判された方は、批判を回避するために、まぁ、必死に努力するというどこでもよくある光景が拡げられることになる。

Neil Dicksonによれば、1860年代のスコットランドでこの問題を回避するために、集会から、この手紙の持参人は、誤った教理を持っていないので、安心して受け入れてほしいという手紙が出されたことが記録に残っているらしい。当時は、郵便事業が始まって間がないので、事前に送るのではなく、持参であったようである。要するに、Newtonの『誤り』を含む教理を保持していないことを集会として保証するために、この種の紹介状が出された、ということになる。

つまり、一時的な滞在者としての聖餐式の参加に関するものとしての保証書としての紹介状であったということができよう。

当時一般的であった紹介状という制度

なお、Grass(2006 p.160)によれば、これと同じような紹介状に類似する制度あるいは習慣は、ヴィクトリア朝イングランドでは結構行われていた、とされている。とりわけ、家で住み込みで働くような家庭教師、執事、書生や信用が重要になるような銀行業などではこのような前任地の関係者や責任ある立場の人からの推薦状が求められたようである。確かに、シャーロック・ホームズ・シリーズの小説でも、執事や家庭教師が紹介状(Reference)に関する記述の事例がみられるし、実際に以下で紹介するメアリー・ポピンズの動画の中でも、銀行員の男性Banksさんが紹介状をメアリーポピンズに求めているが、古臭い習慣である、とメアリー・ポピンズは言っている。

Facebookや、ツィッター、ブログなどのない中で、個人の思想的、聖書理解の背景を知ることは容易ではなく、その代わりとして紹介状という制度が必要悪として生み出されたのであるはずなのだが、その必要悪の根源部分がどのようなことから発したのかの理解が失われ、直接の関係性がない聖書箇所と結び付けられることになり、その形式への形式論拠が与えられ、その形だけが化石のように現代日本においても継続されるという非常に印象的な事例ではあるだろう。
なお、Grassによれば、より思慮分別のある集会では、これらが一般的な必要事項とするには、ローマ書16章1節や第2コリント3章1節を根拠にするということに関してあまり根拠がないと思っていたようである。

また、Grassは、集会発の紹介状制度が完全に普遍的(Universal)な習慣になったことはないとは言うものの、非常に便利な手段となった背景には、個人の手紙であるよりは、集会発の文書の方が相応の重さをもったこととがあるようである。また、集会が出している雑誌広告のようなものでは、紹介状を要請している皇国の事例が残っている。とはいえ、一部には、このような推薦書が、聖餐式に与るための安易な手段となっていることを懸念した人々もおられたようである。

スコットランドでの集会の混乱と紹介状

なお、Dickson(2002、pp.156-157)スコットランドでは、キリスト論に関する神学的な議論が1870年代に噴出し、神は被造物を永遠に苦しめるのか(愛の神であるという性質に反するのではないかという論点と思われる)、という問題を提起するようなトラクトが出版されたり、Conditional Immortality という人間の霊は死ぬものであり、神からの賜物によって永遠のものになり、三位一体を否定する傾向を持った聖書理解がChristadelphiansギリシア語でキリストの兄弟たちとも呼ばれる、Biblical Unitarianism 聖書的ユニタリアリズムからの影響を受けた人々による問題がキリスト集会の中でも大きな論点となった。なお、Biblical Unitarianism 聖書的ユニタリアリズムの主唱者は、Dr John Thomasである。

この混乱のなか、Ritchie氏は指導的な役割を果たし、そして、スコットランドでは、永遠の裁きを認めない集会を容認しない表明する文書に相当数の指導的な人々が署名することになった。この時もまた、このような誤った考え、異端的な教えを持っていないということを示すために、文書が送られnote on introduction(紹介のための手記)が後に推薦状(letters of commendation)になり、これらのものが訪問の際には求められるようになり、ブラザレン全体で利用される一般的な方法となったのである。そして、集会間の聖餐式への参加を取り扱うための強力なツールとなっていったのである。ある面、これが根拠になって排除するような方法論が生まれていったと思われる。


John Ritchie

そして、後に、集会関係の印刷業者Pickering & Inglis やJohn Ritchie Ltd.によって、印刷され、日付と持参人の名前と発行者名と代表者のサインを記入すればよいという、テンプレートが販売されるまでになる。サンプルは、Grass(2006) の161ページで見ることができる。

Neil T.R. Dickson(2002), Brethren in Scotland 1838-2000, A Social Study of an Evangelical Movement, Cumbria, Paternoster Press.
Tim Grass(2006), Gathering to His Name, The Story of Open Brethren in Britain & Ireland, Milton Keynes Paternoster Press.

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

2015年9月
« 8月   10月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

人気リンク

  • なし

カレンダー

2015年9月
« 8月   10月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

ブログ統計情報

  • 3,985 hits
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。