Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

プリマス・ブラザレンとボランティア精神(2)George Müller その2

久しぶりの投稿になってしまいました。本業が忙しくなったのと、本業に関係する案件などいくつかの要因が重なり、お休みしていました。しばらくはの んびりとしたペースでの公開になろうか、と思います。本記事は、Tim Grass(2006)のGathering to His Nameの46ページから47ページの要約である。

それでは、George Müller(ジョージ・ミュラー) が孤児院開設に至るその前の部分について記していきたいと思います。それは、Faith Missionという考え方の根源となるものであった。

1830年代前半に、ミュラーはScripture Knowledge Society(聖書知識教会 SKI)を設立し、必要とするものは祈りによって与えられ、その詳細については誰にも明らかにしないという形をとったのである。Tim Grassは、次のようにミュラーのことばを引用している。

[He] decided, after much prayer, to finance a new and much wider enterprise by the same method. Müller noted in his journal for 21 February, 1834, that he had that morning found ‘A plan for establishing upon scriptural principals an Institution for the spread of the gospel at home and abroad’. Later he set down the reasons why he felt that existing societies were not conducted on Scripture lines.  They had an their object the conversion of the world, an object which Müller had not been able to find in Scripture: they included unbelievers as members if they subscribed to the funds, and as committee members or patrons if they were men of wealth and influence; and they appealed to unbelievers for money and did not scruple to contract debts. Müller determined to pray  for money to be given by believers(free-will offerings by unbelievers would not be refused, on the ground of Acts 28.2-10, but unbelievers would not e permitted to assist in carrying out the work of the institutions).

なお、この引用は、もともと、Grass (2007) のGathering to His Nameからの引用であるが、もともとは、 Rowdon (1967)の The origins of the Brethren, 1825-1850 pp.129-130 の記述であり、それは、ミューラーの自伝The autobiography of George Muller pp.64-65からの引用である。

この部分を見れば、ミュラーがそもそも問題にしたのは信者でない人々がお金を払うことで金持ちであったり影響力のある人々がメンバーになることもさることながら、聖書の中にこの世界を回心させることを目的にしているということであった。しかし、信仰者でない人からの献金もマルタ島の漂着した時の事件であるポプリオの父が、熱病と下痢からの回復時に捧げられたものを受け取っていることか ら、断らないことにしていることは案外重要である。ただし、まぁ、お金を出せば口を出す、ということは、どの世界でもありがちなので、資金提供者の不必要な介入は防ぎつつという ことであったようである。この組織運営に関して財政を公開しないのは、聖書を教える学校への介入を防ぐためであったという側面は重要であろう。

つまり、ある面、ミュラーが西洋型のキリスト教の回心による世界の変化あるいは西洋型のキリスト教の普及を目的にしようとしたことに問題があると感じていたように、筆者には感じられる。なお、この組織の運営形態に関する方針が、あくまで教会運営ではなくて、学校運営で外部からの資金の提供を求めつつも、外部の不用意な関与を防ぐという側面であったことは非常に象徴的である。そもそも論として、会計記録を公開しないことを原則にして学校への献金を送ることをよしとしたわけであることは、記憶されてよいかもしれない。

とはいえ、お金を求めることはしなかったが、年次報告書は送り、その中にすべての必要に関する祈りにどのように答えられたか、が記載されていた。この中では、ある面、信徒の霊的な成長の為に記されているのであり、資金を集めることを目的とするものでないことが明らかにされていたとは言うものの、もちろん、これは読み手を刺激するものではあった。こういう年次報告のようなものでも、信徒の建徳のため、というあたりが非常にブラザレン的であるといえよう。

当初賃貸の施設で始めたものの、それは拡大し、Ashley Downに土地を取得し、そして火災保険を掛けることなく運用していた。ミュラー自身は給与を受け取らなかったが、但し、他の仕事をする人々には無給であることを要請しなかった。

このSKIと呼ばれる学校は、当初昼間の学校及び日曜学校、及び聖書に沿った形での宣教師の働きのため、そして、聖書翻訳と聖書理解を広めるための文書を提供するための組織として設立されたが、成立したのち間もなく孤児院として運用することをミュラーは考え始めたのである。(この背景には、ミュラーの人生が投影している可能性があると思われる。彼はハレの神学校で孤児院の一室に住んでおり、1835年にそこを再訪している)ミュラーはこの事業を、慈善ないし博愛(philanthropic)を目的としてというよりはむしろ聖書のことばを文字通り示す(apologetic)ものとして考えていた。

この部分を考えながら、模倣しやすい行為のスタイルというある現実だけが残り、その行動の背景にあった精神やその理解が忘れ去られていきかねない、という現実を考えざるを得なかった。あるいは、ある行為の概念が後に出てきた概念によって、塗り替えられていき、ある行為の背景にあった背景にある精神というか理解というか、思想が忘れられていくということである。こう思ったのは、実はミュラーが孤児院をはじめていったときに信者以外からの支援も歓迎していた側面が、後に忘れられたり、キリスト者純血主義になっていたりする事例を散見したり、信仰のための奉仕としてミュラーが無給であったのが誤解を受け、信仰のための奉仕は無給を旨とすべきであるという誤解が生じたりして、無給を強いられる例がみられないわけではないからである。

また、実際には、外部からの献金の公開はしなかったが、内部的にはかなり綿密な会計記録がある様であり、とりわけ、孤児院の拡張期には、非常に多くの資金が集まったことが記録として残っている。このあたり、すべて神のこととして、献金額の記録さえつけなくなった後のブラザレン運動の関係者の一部(Grassの本の冒頭には、英国において、内国歳入庁に対して、会計簿などはないと言い切ったこの種の教会の責任者の話が出てくるが)とは、ずいぶん違っていることを感じる。

BristolOrphan-Houses-Ashley-Down

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投稿日: 2016年1月14日 投稿者: カテゴリー: ブラザレン史 タグ: , , , , ,

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