Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

初期プリマス・ブラザレン派の神学的特徴(1)

本日は、初期ブラザレン派の神学的特徴をまとめているTim Grass(2006)の5章Distinctive Principles of the Early Brethrenから拾ってみたい。どのような動機でブラザレン運動を起こしたのかの背景を理解することはGrassも指摘するように重要であろうと思っている。なお、このシリーズで紹介するプリマス・ブラザレン派の特性は後に変容し、以前の投稿でお示ししたように、日本のキリスト集会派でも、相当初期理解から変容している理解も存在するが、ある程度の部分はかなり固定的に維持されている集会群もある。

聖書の権威性を巡る理解

多くのブラザレン関係の研究者が、指摘するのは、聖書の権威性が基本的に基礎であるという点である。しかし、こういってしまえば、正教会も、ローマ・カトリックも、聖公会も、プロテスタント諸派も、聖書の権威性を認めているとはいえるので、区別が付かない。ここでいう権威性は、J.N.Darby(ダービー)風の考え方による権威性であり、聖書の至高の権威性と、それ以外のもの(例えば、伝統あるいは過去の神学的成果、あるいは信条や信仰告白といったもの)はまったく認めないという点である。この過去の神学的思惟や過去の歴史的な経緯によって生み出されたものを一切否定的に扱うという側面といってもいいであろう。これが、福音派と呼ばれたルター派や、カルヴァン派、それ以前の伝統教派、聖公会、カトリック教会、ハリストス正教会などとは大きく異なる点であるといえる。ところで、ブラザレン派の初期の指導的人物であるNewton(ニュートン)は、これらのことの一定程度重要性を認めており、プロテスタントの伝統もごく軽くであるとはいえ、認めていた。この点で、ダービーとは異なる。なお、一部に聖書の権威性とそれを教会の秩序と結びつけることを特徴とする人々はあるが、これらに関しては、改革長老派や、Particular Baptistsでも見られたことではあるが、これらではある程度教会の過去の経験や神学的理解を尊重することは見られたが、これらに対して、かなり徹底的に否定的な視点を向けたところが初期プリマス・ブラザレン派の特徴であるとはいえそうである。
(個人的感想———–

ダービーの一種の過激さからすれば、ニュートンのプロテスタント的な伝統にも依拠するような態度が中途半端で生ぬるく、いい加減なものに見えたのではないか、という感想を持つ。プリマス・ブラザレン派を大きく2分することになっていく二人の間の論争は、キリストの人間性を巡る神学論争というよりも、本来教派的伝統をどう考えるのか、ということを背景にしないと見誤ることになるのかもしれない。この過去の歴史性や教会の伝統をどう考えるのかは、その後のキリスト集会の中での様々な動きに反映しているように思われる。

———–個人的感想)

聖書の権威性と旧新約聖書の分断的理解

では、プリマス・ブラザレンならではの特徴は何かといえば、聖書の権威性の重視と、旧約聖書と新約聖書の断絶である。この結果、預言以外の旧約聖書が取り上げられることが減り、新約がかなり取り上げられる傾向につながりやすいものと考えられる。それに加え、初期リーダーが様々な社会階層からの出身者であることがあり、超自然的な感性が強調されたロマン主義的な思考の影響があるものと思われる。なお、社会階層が多様であるとはいえ、初期指導者たちは、社会の中流以上の出身者が多いとは言えそうではある。が】、である。

James P. Callahan(1996) キャラハンはプリマス・ブラザレン派に関して、やや批判的な書籍であるが、その中で、プリマス・ブラザレン運動の思想的中心性をPrimitivism(初期至上主義)と呼び、使徒的教会を模範とするところにあると指摘している。これは単なる復古主義ではなく、教会派、初代教会がユダヤ的聖書理解を否定したことも含めて(これは必ずしも、事実とは言えないことが最近の、1世紀の初代教会問題の議論で疑問が呈されているが、それに対するプリマス・ブラザレン派からの学問的反論に関しては寡聞にして知らない)、その姿勢に戻るべきだとする初期至上主義にある。

単なる復古主義ではないことの背景として、教会は様々なものを含んでしまって痛んでいるので、そこを離れるべきだというダービーの主張等をその根拠としてキャラハンは指摘している。この結果、既存教派への忌避的視線を向ける傾向を持ちやすく、既存教会を離れるべし、という分離主義的傾向を持つことになる。そして、このことから、預言への大きな関心につながる。

Primitivist Piety

ダービーの預言理解に関する学術的検討

Crutchfield(1992)はダービーのアイルランド国教会(The Church of Ireland)への不満は、預言に関する研究への不満がその一部にあることを指摘している。Sandeen(1970)は、ダービーにとって教会論はすべての彼の理解の触媒の働きをしており、Elmore(1991)はダービーにとって終末論の立脚点は、教会論にあると主張している。なお、Elmoreのような研究が一時期はディスペンセイション神学の牙城のようであったダラス神学校で、批判的に論じられているのを知ると、隔世の感がある。また、かなり批判的なBass(1977)は教会的真理の回復を考えたあたりから携挙論が出てきていると批判している。Grass(2006)は、北米において、ダービーのRapture理解は受け入れられたものの教会論が受け入れられていないのは、非常に重要な傾向である、と指摘している。Ward(1977)は終末論と教会論がディスペンセイション説的な思考に依拠していると指摘している。F.F.Bruce(1967)はR0wdonのThe Origins of the Brethren 1825-1850の献辞の中で、ダービーの教会論と終末論は細心の注意を持って構築されたシステムの中で、組み込まれた独立の要素として存在し、ダービーの終末論のみをとり、教会論を排除することができないようなものであり、両方が相互に補い合うように抜き差しならない関係にあるのではないか、と指摘している。

(個人的感想———–

おそらく北米において、彼の終末論のみが、後の米国におけるEvangericals と呼ばれるFundamentalistsの中で受け入れられ、彼の独自の教会論が米国のFundamentalists受け入れられなかった背景には、リバイバル運動の影響と南北戦争の影響があると思われる。

まず、英国も多様なキリスト教的伝統が存在したが、プリマス・ブラザレン運動は、その中の一つにすぎなかった。とりわけ、国教会分離派として、国教会を主要な異議申し立ての相手としたこと、国教会からの分離、独立を目指した側面がある。そもそも、ダービーは、アイルランド国教会の司祭でありながら、アイルランド国教会から飛び出したわけであるから、アイルランド国教会的なものに対しての批判意識が強い。

ところが、米国ではそもそも、建国の理念からして、憲法修正第1条にあるように、国教会という概念が存在しえないため、批判する国教会が存在しないこと、このダービー風の聖書理解を広めるのに大きく寄与したMoody(ムーディ、古くはムーデー)が、その必要性の議論は別として正規の神学教育を受けていない、ある種の大衆伝道者であり、超教派的な運動体として、キリストを伝える(より正確には、日本人がキリストに出会うような初めてのキリストの紹介というよりは、どこか頭の片隅の残っている自分自身の文化的、生活的、行動規範の原点ともなっているキリストとその教えに戻るように伝える)という行動にかなり焦点を当てた運動を行ったこともあり、既存教会を堕落しているものとして強く批判する意図がなかったためであると思われる。このようにして、リバイバル運動が、森本あんり(2015)が指摘するように一種の教派的伝統を批判するものでなかった点も、ダービーが本来言いたかったことである教会論がアメリカでは大きく着目されたなかった背景にあるだろう。

第二点目の南北戦争と日本で呼ばれるThe Civil Warの影響であるが、南北戦争は、1865年に終結しているが、その時期の記憶が鮮明であった当時、まさに、父が子に向かって刃を向け、兄が弟に銃口を戦場で向けるということが行われ、血で血を洗うかのごとき激戦が、当時の人口密集地(といっても現在の日本の地方部ほどの密集度でしかないが)であった米国北東部で起きた記憶がまだ生々しく人々の記憶に残り、この戦闘で手を失ったもの、足を失ったもの、視覚障害者となったもの、現在で言えばPTSD用の症状を示したもの、といった様々な傷痍軍人が北東部に多数いたことである。つまり、南北戦争は、まさに世の終わりがやってきた、と思った経験をした人々が多い中で、それが聖書の終末預言の実現として語られ、その回復の希望として、残忍な殺戮が行われた跡が残る国土への否定的視線の上にのるような形で、Rapture説が米国の一般市民の間で広がったのではないか、と思われる。

———–個人的感想)

次回は、この世からの分離について ご紹介しながら考えていきたい。

 この記事の参考文献

Bass, C.B.(1977), Backgrounds to Dispensationalism: its historical genesis and ecclesiational implications, Baker Book House.
Bruce, F.F. ‘Foreward’ in H. H. Rowdon, Origins of the Brethren 1825–1850, Pickering & Inglis
Callahan. James Patrick (1996), Primitivist Piety: The Ecclesiology of the Early Plymouth Brethren, Scarecrow Press.
Crutchfield. Lary V (1992), The Origins of Dispensationalism: The Darby Factor, University Press of America.
Elmore, Floyd Saunders (1991), ‘A critical examination of the doctrine of two peoples of God in John Nelson Darby’, Th D dissertation, Dallas Theological Seminary.
Sandeen, E.R. (1970),The Roots of Fundamentalism: British and American Millenarism 1800-1930. University of Chicago Press.
Grass, Tim(2006)、Gathering to his Name: The Story of Open Brethren in Britain and Ireland, Paternoster.
Ward, John Percy (1976), ‘The Eschatology of John Nelson Darby’, Ph.D. thesis, University of London.

森本あんり(2015), 反知性主義, 新潮社

 

広告

初期プリマス・ブラザレン派の神学的特徴(1)」への4件のコメント

  1. 2016年2月11日

    はじめまして。いつも拝見しております。
    プリマス・ブレザレンやキリスト集会とは縁もゆかりもない者ですが、
    私的にプリマス・ブレザレンのことを勉強しております。
    これからその神学的特徴について、
    海外文献を活用されてブログにアップされるということで、
    貴記事のご発展に期待しております!
    わたくしも非常に更新が楽しみです。

    いいね: 1人

    • kawamukai
      2016年2月12日

      祐さま

      わざわざのコメント、ご清覧、ありがとうございます。
      プリマス・ブラザレン派に関しては、なかなか資料がなく、当初1997年ころ、勉強し始めたころは何を読んでよいのやら、という状態でしたが、最近は資料も増えてきて、それなんかをご紹介いたしております。

      今後ともよろしくご清覧の程、お願い申し上げます。

      もし、ご質問、コメント、こんなことが知りたいとのご要望がございましたら、ご教示いただけましたら、参考にさせていただきます。

      こころから感謝をいたしつつ。

      いいね

      • 2016年2月12日

        お忙しいところ、お返事いただきありがとうございました。
        お言葉に甘えて、貴ブログからご教授いただきたいなと前から思っておりました点をリクエストさせてください。
        今、ロバートチャップマンのことを私は勉強しているのですが、プリマスブレザレンへの影響や彼の神学的立ち位置をうまく把握しきれず、難儀しています。(完全に趣味の世界です。私は現役の大学生でもありません。)とても魅力的な人物だと思いますので、もし機会ございましたら、特集していただけると、嬉しいです。長々と勝手なコメントとなりました。失礼します。

        いいね

      • kawamukai
        2016年2月13日

        祐さま
        ご意見、ありがとうございます。Robert Chapmanですか。渋いところをついてこられましたね。

        個人的な現段階の見解で行けば、霊性の神学につながりそうなところを持っていて、ちょっと神秘主義的な人物、といった感じを抱いています。とはいえ、思いやりに飛んだ人だったみたいですね。次回出てきますが、チャップマンは、Barnstapleで貧しい人がChapmanのところを訪ねることに気後れしなくてすむように、町外れに一軒家を持っていたようです。まぁ、当時の階級社会の身分差を考えると、そういう配慮も必要だったんだろうなぁ、と思います。

        コメント、ありがとうございました。

        いいね

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

2016年2月
« 1月   3月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
2829  

人気リンク

  • なし

カレンダー

2016年2月
« 1月   3月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
2829  

ブログ統計情報

  • 4,076 hits
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。