Thoughts on Plymouth Brethren History and Characteristics

プリマス・ブラザレンの歴史と特徴

初期プリマス・ブラザレン派の神学的特徴(2)

今日はブラザレン派の信徒のみならず、米国福音派と呼ばれる米国根本主義者の社会とのかかわりをかなり決定づけてきた、世俗社会からの分離志向について、Grass(2006) の記載を参考に書いてみようかと思う。

世俗のものに無関心となりやすい背景

プリマス・ブラザレン運動の初期段階から、世的な様々なものから離れることを良しとする世俗離れするような力が初期出発の時点から、その後現在においてまで働いている。そして、教会を神のものであると考えるということによる信念が、世俗と教会(集会)都の分離的である生き方や世俗のもの(自分たち以外の教会を含んで世俗的と称することもある)から離れようとする主張などに反映されており、世俗的なものから分離的であろうとする傾向が明らかに見られる。

世的でないこと(Unworldliness)は服装や調度品などに見られ、そこに費やすことは、主の業のために資金を使っていないことであるとされた。そして、このようなあり方は一種の禁欲主義や孤立主義につながる危険性を伴っている。極端な場合には、物質的な世界を区別なく悪とすら見なされかねない状況であった。Anthony Norris Glovesは1829年に次のように書いている。

Why spend our thoughts and praises on that which is the great instrument of Satan in deluding and enslaving our fallen race, and which, being under the curse, is to be burnt up: instead of on the beauties of Christ, and of His world, moral and spiritual, which shall endure for ever. Let the natural man dwell with delight on natural objects; let spiritual dwell with delight on spiritual, that his spiritual life may be manifested, and let him use natural things merely as illustrations to those who, being natural, can only understand natural things.

何故、我ら堕落した人類を奴隷状態にし、人類をだまそうとするサタンの偉大なる道具に我々は、思いを巡らせ、賛美するのであろうか。そして、それら(の悪魔の道具 引用者補足 )は呪いの下にあり、やがて燃やされてしまう定めであるにもかかわらず。これに対して、キリストの麗しさとキリストの支配は、霊的かつ道徳的なものであり、永遠に不滅のものなのである。自然人をして、自然のものの中に住まわせればよい。霊的なものは、霊的な世界の喜びの中に住まわせるが良い。そして、霊的な人の生活が示されるようにし、この霊的な人は自然物を自然人として生きる人々に理解せしめるときにのみ用いられるものとして理解されよう。

とかなり二元論的な理解が、Anthony Norris Glovesにもみられる。

初期指導者は自身が非常に高い教育を受けていたにもかかわらず、霊的な概念を重視するあまり、世俗の教育の価値を低く見ることなどにこのような態度が反映されている。教育を受けることはキリストを拒否することに向かい、その結果として教育を受けても、滅びに至るだけであるからというのがその論理であった。

個人的感想——————-
教育の価値を否定することは、近年まで日本のキリスト集会派の中にまで引き継がれているが、初期の指導者たちが、非常に高い教育水準にあったことを忘れてはならない。この背景には、1800年代という近代科学が支配した時代の背景もあるだろうが、世俗教育が、世的なものであるとして、それが教会への流入を防止したかったのではないか、とも考えらえる。また、ある面で言うと上記で紹介したにGlovesの表現にも表れているように、世のものは滅びるという終末論からの影響の強さがみられる。
——————-個人的感想

この世間や世俗社会に対する冷淡な態度は、プリマス・ブラザレン派を社会的なラディカルなグループにしていくことには至らず、むしろ逆の方向性を持った。プリマスでのこのキリスト集会の立場や行動が極めて急進的であったことは間違いないのだが、プリマス・ブラザレン派は社会に対しては極めて保守的な立場をとった。その根拠としてはローマ書13:7節の「敬うべき者は敬いなさい」が信徒が考える際には根拠とされた。もちろん、初期のリーダーは、医師であったり、植民地の司令官であったり、退役軍人であったり、法律家であったり、貴族であったり、地方地主であったりし、彼らは婚姻を通じて非常に密接に結びついていたのである。その意味で、Irish Evangelical aristocracy and gentlyの一部に、これらの指導者層がいたという感じであったとGrass(2006)は指摘している。この場合のEvangelicalという意味は、カトリックではない、という程度の意味であることは理解しておいたほうがよいように思う。そして、これらの社会的に上流階級の人々が、説教者を招いたり、もてなしたり、信徒の信仰上のケアにあたったり、会場の提供やさまざまな教会の必要を満たしていったのである。そして、Beatrice Webbが指摘するように、階層が秩序を生み出す、というような社会的階級の高い人々が集まっていたことと、その人たちが社会で果たしていた役割が、全ての信者が等しく同じで、聖職と平信徒が同じであると考えるようになったことと、深い関係があるものと考えることができよう。

そのあたりのことをついたSun of Ranbow

個人的感想——————-
ある面で言うと、英国での社会的地位の高い人たちのキリスト教に関する一種のクラブというかフラタニティ(社会的組織、今で言えばロータリークラブみたいな存在)として始まったのが、プリマス・ブラザレン運動の出発点ということは可能だし、初期の7人のメンバーの出身母体や、初期7人の行動はまさにそのような形をとっている。しかし、階級社会と上流階級に莫大な富が集中していた19世紀初頭のイングランドのような社会的前提が崩れている日本社会の中で、どこを守り、どこを変革していくのか、ということの理解をもう少し深めてもいいように思うのだが。

そういえば、ダウントン・アビーという面白いドラマがNHKで放送中であるが、あの番組の初期のころは、ブラザレンが始まってからまだ80年くらいしかたっていない、まさに初期ブラザレンの世界は、あそこのダウントンアビーの居間で、貴族の人々が語りあっているシーンさながらではなかったか、と思いながらあの番組を見ては、寝落ちしている。

ダウントンアビーのシーン集

——————-個人的感想

英国における分離派の地位の低さとそれを回避したブラザレン

実際に英国の初期のプリマスブレズレンは、分離派Dissenterと呼ばれることに耐えがたい貴族の避難所と揶揄されることもあった。実際にWilliam Huntingsonという回心した炭鉱労働者は、プリマス・ブラザレン派の人々は、貴族的で、教育があり、才能豊かであることに関して「プリマスで起きた運動が広がるのに世の貧しいものが選ばれたとは、到底言い難い」とかなり強い口調で批判している。とはいえ、このプリマス・ブラザレン派のもつ一種の貴族的な雰囲気は、分離派に対しての粗野なイメージを回避することができ、この運動を好ましいものと人々の目には映ったようである。分離派は民主的(当時の感覚でいえば、社会の破壊活動分子的)で分派的のイメージが付きまとっており、これらは英国国教会に対する批判をすることよりもよりイメージが悪いものとして受け取られたからである。あえて、政治的な活動をせず、キリスト教的な意味でのみ国教会から分離を図ろうとする考え方は、神が与えられたものが権威を持ち、調整を行うという概念から生まれており、それだけに、当時の意味で言う民主的(革命活動家的)な在り方に対する対抗的な在り方とみられていた。

個人的感想&コメント-——————
プリマス・ブラザレン派の国教会からの分離は、当時の世俗社会の一つの柱でもあった国家と一体になった教会を批判し、その結果、国教会が大きな役割を果たしていた当時の英国社会から追い出されるという意味での分離の側面があり、信仰の純粋さを求め、原始的な形(それが純粋であると思ったロマン主義的な理解の結果とは言え)を求めた結果、追い出されたとプリマス・ブラザレン派の人々は自分たちをそのように理解したであろう。そのような自己理解を持つプリマス・ブラザレン派の人々からすれば、追い出した側である国教会は、ある種、汚れた、悪にまみれたものに見え、その結果、こういう悪にまみれたものからの分離を図ろうとしたのであろう。

ところで、上でも述べたように、プリマス・ブラザレン派は、キリスト教史的には、英国国教分離派であり、一種世俗権力と一体化した反抗的であるにもかかわらず、政治的には結果的には保守色が強いという相矛盾した側面を持つように思う。この、極めて教会改革的で、教会権力に疑念を示しながらも、同時に世俗的な権力維持志向が強いという性格というプリマス・ブレズレン派の人々の一種の二重性というのか、多元性があるのではないかと感じる。そして、この傾向は、日本のキリスト集会派の人々の中にある両面性というか両義性につながり、その意味でプリマス・ブラザレン及び日本におけるキリスト集会派の人々をどう理解すればよいのか、にこの本に出会うまで、かなり苦しんできたのだが、この部分をはじめて読んだ時、あぁ、なるほどと合点が行ったのである。

つまり、もともと社会の上流階級とまではいかなくても中流階級の人々が始めたため、社会的秩序とか、社会的階層、社会的構造を保存するような概念がこれらの人々のどこかに染みついていて、フランス革命的な一種思想の一致性を通すような強硬さというのか無茶さをこの初期のリーダーたちが持ちえなかったのだと思う。このような政治的な保守性や文化的な保守性は、日本のキリスト集会においても、時に見られることがあるようにも思う。それが社会的に好ましいとされていないことなどの受容(たとえば、インターネットの利用や権威性への否定的視線を向けることなど)を持つ人々の存在するうえでの障害になる場合もありそうである。この一種の保守性を維持しようとする保守的な性質と、プリマス・ブラザレン派に流入したクェーカー派の人々の影響の結果である平和主義や生活文化の保守性とがあいまっているといえよう。また、生活文化の保存の保守性の観点から、アーミッシュと混同されやすい原因の一つであろうと思われる。

—————— 個人的感想&コメント

 

民主主義ということへの英国上流階級の否定的視座

現在ではどうかわからないが、ダウントンアビーなどを見ていてもそうであるし、日の名残りの中で、貴族の皆さんが、アンソニー・ホプキンス演じる執事に政治的な質問をして困らせるシーンが出て来るが、英国人貴族の1940年代くらいの意識というのは、そういう意識であり、英国の民主主義は、貴族の中での民主的、共和主義的意思決定システムである時期が長く続いたこともあり、現在の日本風やアメリカ風の民主主義とは一味も二味も違うものなのである。

映画「日の名残り」の予告編

分離派という烙印の当時の社会における意味

未だに英国の一部の人たちの中では、Dissenterという言葉に鋭く反映する部分がある。一種の反逆者、国家反逆者的なイメージを与える語らしいが、プリマス・ブラザレンや、メソディスト、バプティスト派総体に国教会から出ていったものという意味で、Dissenterと呼ばれ、社会の中心にはなりにくいのである。野呂のウェスレーの生涯と神学でも、ウェスレーの大学進学等に絡んで、このような表現が感じられる部分があったが、それだけ、分離派を選ぶということは、社会の中で主流から外れることを強いることを信仰者に要求したことを忘れてはならないと思われる。

貧しい人々への対応

この運動の指導者たちの精神性が貧しい人々絵の対応に現われている。ダービーが示した貧しい人々への思いは、純粋なものであったとはいえ、やや保護主義的な側面を持っていた。産業革命に伴う貧しい人々が機械のように働いているのを見たとき、ダービーは、「人々が機械のように働かされている」という語を残している。このあたり、社会派的キリスト教のその日と李ともいうべきラウシェンブッシュかと見まごうばかりかのような言葉である。とはいえ、産業地区での勤労社会における苦難からの真の悲劇的状況への最終的な解決は、イエスの再臨(Second Coming)であるとしていた。

無論ダービーは霊的ニーズに関することに関心があったため、霊的な解決策を考える傾向があった。そして、霊的な賜物を受け取ることができるよう実際の物質的ニーズを満たすことに関してはあまり重要視していないようであった。無論、George Müller は貧しい人々の中で働いたことは明らかであるとはいうものの、父権主義的な意味での保護主義的(paternalistic)な側面を示したかに関しては、かなり疑問であるように思う。

しかし、初期リーダーたちはかなり貧しい人々に説教すると同時に訪問していることは確かであり、そのような方法で伝道していたことはかなり効果があったようである。Chapmanは小さな家屋を持っており、本宅で人々に出会うと気後れするといけないからと、人と会うためにその小さな家屋を持ったほどであった。また、Bowes という人物も、スコットランドの貧しい人々に対して、福音と社会正義を合わせて語っていたことが知られている。とはいえ、初期リーダーのうち、より低い階層から出ているのは、呉服商であったGribbleのみであり、彼は、主要な初期リーダーのネットワークに登場することはない。恐らくその背景には、Gribbleの自己破産歴が影響しているかもしれない。

このような貧しいものへの対応というのは、ブラザレン運動の前に英国でもかなりはやった空想的社会主義ということと深い関係にあるものと思われる。ある面、それだけ産業革命の副作用がきつかったということではないだろうか、と思う。

 

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投稿日: 2016年2月19日 投稿者: カテゴリー: 御挨拶

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